シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

老女医の奇妙な妄想殺人 第二話 ~道祖神がとりもつ恋~

ブログ『絞殺 鰐冨美子』は、波留子がマスコミ(特に低俗な週刊誌)に叩かれているうちは、快調に更新され、冨美子は快調にマスコミ人を絞め殺していた(もちろんバーチャルで)。しかし波留子が研究所を追われるように退職してからは、彼女に対するマスコミの注目度も落ち、冨美子のブログネタは枯渇した。そのとき満を持して波留子はSTOP騒動の顛末を手記として出版し、ベストセラーとなった。波留子は再び脚光を浴びることに成功したのであるが、それも一時的なカンフル剤にすぎなかった。時は流れ、マスコミが彼女を取り上げる回数が減り、彼女が雀荘に入り浸っているという「あの人は今」的な記事が、とある週刊誌の片隅に載ったのを最後に、波留子は世間から完全に忘れ去られた。しかし世間は忘れても、鰐冨美子は忘れなかった。彼女はブログ記事の更新を止めようとはしなかった。その理由のひとつは惰性(というより中毒症状といった方が正確か)であり、もうひとつは他にすることが無かったからである。おまえのやっていることは波留子の「忘れられれる権利」の侵害だという非難の声も冨美子を止めることはできなかった。そんな彼女にに転機が訪れた。信じられないことに鰐冨美子は恋をしたのである。なんとおぞましいことであろうか。

とある日の昼下がり、珍しく冨美子に来訪者があった。玄関の扉を開けると、一人の青年の姿があった。その青年が「僕をみてください」と言ったのに対して「はい、見てますけど」と間の抜けた返事をする冨美子。「そうじゃなくて、僕を診察してください」青年にそう言われてはじめて、冨美子はここがクリニックであり、自分が医師であることに気付いた。クリニック開設以来、狸の他に診察に訪れたのは、この青年がはじめてなのだから無理もない。

青年の名はソイヤ、山科大学に通う院生らしい。あなたの論文、一世を風靡したことあるの、と突っ込む冨美子に、若いソイヤまったく無反応だった。世代間格差に打ちのめされた冨美子は、とりあえず医師らしく振る舞うことで、その場を取り繕った。「それで、どんな症状なのか教えて」という問に対する答えに、冨美子は驚いた。「僕、人を殺すかもしれません」ソイヤはそう答えたのだ。

ソイヤの話を要約すると次のようになる。すなわち彼の指導教官である若禿山(わかとくやま)教授は、その世界で名の知られた研究者であるが、その正体はまさに悪魔といっても過言ではない。彼は良心の欠如が甚だしく、己を利するためなら如何なる悪を為すことも厭わない。彼のラボの研究者は若禿山に研究成果を盗まれ、その代わりに彼らに与えられるのは若禿山が為した研究不正の責任である。若禿山の研究論文は彼の研究の犠牲になった若い研究者の墓標である。「僕は奴を許すことができない。いつかこの手で奴を絞め殺してやる」と憤るソイヤの目には怒りと憎しみの炎が燃えていた  ように冨美子には見えた。

ソイヤの話を聞いて、冨美子は山科大学の若禿山教授という名前に引っ掛かった。どこかで聞いたことのあるような……、そうだ、主勝田波留子の手記に登場する、あの研究者だ。彼女の手記によれば若禿山こそがSTOP事件の黒幕であり、波留子という才能ある若き研究者に濡れ衣を着せ、科学界から追放した張本人なのだ。世の中に正義があるならば、彼こそが研究者生命を断たれる、いや生物学的生命すらも断たれるべき人物なのだ。それなのに若禿山は未だ、のうのうと教授を続け、ソイヤのような若い才能を台無しにしようとしている。冨美子は心の中で思いっきり叫んだ「あのハゲがぁーあ、殺してやる」。

我に返って冨美子は自分に言い聞かせるように、落ち着いた口調でソイヤに言った。「あなたは本当に正義感の強い人なのね。あなたの気持ちは私には手に取るように分かる。けれど殺すのはダメ。どうすればいいか、これからふたりで一緒に、ゆっくり考えていきましょう。何かあったら、いつでもメールして。」

その夜、さっそくメールが来た。「先生、今日は親身になって話を聞いてくれてありがとう。帰り道で偶然、道祖神を見つけ写真を撮りました。縁結びの神様に出会うなんて運命を感じます。道祖神の写真、添付します。」

とみ子は躊躇うことなく、添付ファイルをクリックした。するとこんな画像が現れた。

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穂高 水色の時道祖神  安曇野公式観光サイト

冨美子はただちに返信した。「道祖神、本当にお似合いのカップルね。今度お会いするのを楽しみにしています。」このメールのやり取りから、医者と患者という二人の関係は崩れ始めた。

ところでソイヤが添付したファイルは画像ファイルのはずなのに、なぜかその拡張子は(jpgやpngではなく)exeだった。それはウイルスに使われる拡張子のひとつである。

(つづく)