シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

宗教、はじめました

その宗教の教義のキーワードとなるのが「三苦一死」である。なんかキリスト教の「三位一体」みたいな感じの言葉であるが、れっきとした仏教系の宗教なのだ。

「四苦八苦」という言葉は仏教の「四苦」に由来する。「四苦」とは生・老・病・死という人間にとって避けられない4つの苦のことである。「老」と「病」については説明不要だと思うので、「生」と「死」について説明する。「生」を生きることと理解すると、生きていればいずれ老いるし、また病を患うこともある。つまり「生」の内に「老」も「病」も含まれてしまう。だから「生」は生きることではない。では「生」とは何であるか。

産みの苦しみという言葉がある。確かに産む方も苦しいだろうが、産まれる方も結構苦しいはずである。なんせあんな狭い所を通るのであるから。「生」とは生まれる苦しみ(生苦)のことである。しかし「生まれるときは死ぬほど苦しかったなあ」と述懐する人はいないだろう。生苦は確かに誰もが体験するのであるが、しかし誰もその体験を記憶していないのである。だから生苦は推量するしかない。

これに対して「死」は誰も体験したことのない苦しみである。また生まれ方は一通りしかないが、死に方は人それぞれである。苦しんで死ぬ人もいれば楽に死ぬ人もいる。しかも苦しい死に方も楽な死に方も死に至る過程の話で、そのとき人はまだ死んではいないのである。人は死を体験しない。なぜなら死を体験する主体が存在しないからである。死は苦ではない。だからといって死を無視することはできない。なぜなら4(死)は2と3に続く数字だからである。

仏教は苦の原因は煩悩であると説く。そして私は奈良の大仏の「螺髪」に隠された真理を解明する において煩悩が2と3によって構成されていることを明らかにした。すなわち(2^2)×(3^3)=108であること、そして(3^3)-(2^2)=23であることを明らかにした。だがこの時点ではまだ「三苦一死」の思想には達していなかった。すなわち煩悩は三つの苦(9)とひとつの死(4)によって構成されていること(9+9+9)×4=108であることに気づかなかった。

しかし煩悩(108)は単純に三苦だけから生まれると解することもできる。99+9=108である。そして煩悩から苦が生じることは1+0+8=9であることから明らかである。そこで苦を研究すれば死もおのずと明らかになるであろう。以上で999字に達したので続きは次回の記事で。

宗教が往く