シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

老女医の奇妙な妄想殺人 第四話 ~Love Is a Very Strange Thing~

『毒殺 鰐冨美子』という文書ファイルはWordで作成されていた。この「毒殺」という言葉、確か昨日、ソイヤと話をしている中で出て来た記憶がある。どんな話をしていたのか、冨美子は急性アルコール中毒の後遺症で苦しむ脳を酷使し、必死で思い出そうとしていた。まず思い出したのが映画の話である。あれは確か学生時代に観た『慕情 』だ。なぜ、そんな昔の映画の話になったのか、主人公が自分と同じ女医だということで、話題に上ったのかもしれない。昨日、一戦を交えた後、酒を飲みながら、冨美子は懐かしの映画『慕情』について饒舌に語ったことを思い出した。

「この映画、原題は Love Is a Many-Splendored Thing というの。でも私は愛は Very Strange Thingだと思うの。例えば私はソイヤのこと愛しているけど、もしソイヤが私を愛してないなら、二人の間に愛は存在するのかしら? ほら、昔、主勝田さんのSTが世間を騒がしたときのこと、覚えてる? STは存在するのかどうか、記者に詰め寄られたとき、主勝田さんはこう言ったの。STが存在するかどうかは重要な問題ではない。大事なのは人間の可能性を信じることだと。私もソイヤの可能性を信じる。今はまだ私のこと、愛してくれないとしても、いつかきっと愛してくれると」冨美子の長台詞が終わって自分の番になったとき、ソイヤは待ってましたとばかりに見えを切った。「何を言ってるんだ、冨美子。僕が君を愛してないだと。そんなことあるわけないじゃないか」「ああ、ソイヤ、知ってる?『慕情』にこんな台詞があるの。『悲劇とは 愛を知らないこと』私の悲劇は今、終わったのよ」

 

第三話は何とか乗り切ったが、それにしても書くのが辛い。ある実在する人物をモデルとしようと決めたとき、覚悟はしていたものの、やはり、おぞましい。読む方も辛かった思う。だがそれも、もう終わりだ(物語は、もうしばらく続くが)。

 

「ところで」とソイヤは突然、冨美子が予想だにしなかったことを言った。「STって何? 主勝田って誰?」それを聞いて冨美子は拍子抜けすると同時に安心した。どうやらソイヤはSTOP騒動のことを、まったく知らないようだ。とすると主勝田さんの手記も読んでおらず、この騒動の裏で若禿山教授が暗躍したことも知らないことになる。それでいい。これ以上、若禿山教授の悪行を知れば、ソイヤの憎悪の炎が燃え上がり、Towering Inferno状態になってしまう。

さて、今度はソイヤが長台詞を語る番だ。「冨美子は悲劇は終わったというが、僕の悲劇は始まったばかりだ。しかもこの悲劇は終わることがない。確かに愛を知らないことは悲劇かもしれない。だがもっと悲惨な悲劇がある。それは憎しみを知ることだ。僕は決して忘れることのできない憎しみを知ってしまった。この悲劇から逃れる方法は唯ひとつ、憎しみの対象がこの世から居なくなることだ。やはり僕は若禿山教授を殺すしかないのだろうか。しかし、そうすれば僕は刑務所行きだ。僕には若禿山を殺す動機がある。そのことは周囲の誰もが知っている。ああ、だが僕の悲劇を終わらせるには刑務所行きも悪くはないのかもしれない。」

「ソイヤ、代わりに私が殺してあげようか?」冨美子は真顔でそう言った後で、「いやだ、冗談よ。本気にしないで」。「なんだ、脅かすなよ。でも、もし冨美子が若禿山を殺すなら、その方法は毒殺がいいな」「どうして?」今度はソイヤが真顔で言った。「美女には毒殺が似合う」

(つづく)

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