シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

老女医の奇妙な妄想殺人 第一話 ~プロローグ~

長年勤めた病院を定年退職した鰐冨美子(がく とみこ)は春の海のように、ひねもすのたりのたりしていた。心機一転、安曇野に移住し、クリニックを開設したものの、訪れるのは野生の狸ばかり。室内には診療代として得た大量の木の葉が散在していて、それを見るにつけ、冨美子の心には脱力感がみなぎるのであった。かろうじて惰性で続けているブログも最近、更新するのが面倒になっていた。それでは冨美子がブログを始めるきっかけとなったSTOP騒動から物語を始めよう。

時が止まると、すぺてが止まる  これが当時の常識であった。この常識に敢然と異を唱えたのが主勝田波留子(おもかつた はるこ)である。彼女は時が止まっても動くものが存在すると主張し、その存在を証明する論文を公表した。それがいっとき一世を風靡したSTOP論文である。波留子は時が止まっていても動く物体をST(Strange Thigの略)と名付け、この「奇妙な物体」STを人間が操作することの可能性について論じた。それがSTOP論文である(STOPはStrange Thig Oprationing Possibilityの略)。この論文は多くの記者の前で大々的に発表され、記者たちはSTの実物を公開するよう求めたが、波留子は特許を盾に、それには応じなかった。またSTはE.T.と関係があるのかという質問も飛び出したが、これにも波留子は明確に答えなかった。発表直後、波留子は科学の歴史を塗り替えた天才としてマスコミから絶賛され、たちまち時の人となった。だが、奢る波留子は久しからず、盛者必衰は世の常。思わぬ事態が波瑠子を窮地に追いやった。

STが研究所から消失したのである。STは時が止まっても動くことができるが、われわれは時が止まっている間、何もできないし、そもそも時が止まっていたこと自体に気付くことができない、STは時が止まっている間(それは一時間かも知れないし、一億年かもしれない)にどこかへ移動したのだろう、というのが波留子の見解であった。だが世間は納得せず、波留子を疑惑の目で見るようになった。

波留子はこの疑惑を晴らすべく、記者会見を開き、冒頭、不注意からSTを逃してしまったことは自分の未熟さのせいで、本当に申し訳ないと深々と頭を下げた。これに対して記者たちは波留子に疑惑の核心に迫る質問を容赦なく投げかけた  STなるものは本当に存在するのか、と。これに対する波留子の回答は記者たちの意表を突くものであった。「STが存在するか否か、それはもちろん重要な問題です。しかし、皆さんにはより重要な点に目を向けていただきたい。それはSTOPがあるという点です。人間がSTを操作する可能性はあります。私はこの人間の可能性を信じ、これまで科学研究に携わってきました。もし許されるなら、これからもこの信念の下、研究を続けたいと思います。」そのとき波留子の目から一筋の涙が零れ落ちた。

波留子の言葉を聞いて大多数の人が「こりゃダメだ」と思い、ごく少数の人が波留子の「人間の可能性を信じる」という言葉に感動した。鰐冨美子は、もちろん後者に属する人であった。マスコミは大多数の人々の思いを代弁して、波留子をペテン師と罵り、詐欺師と叩きまくった。この見事なまでの掌返しに、ごく少数の人々はマスコミに反発し、波留子を擁護する意見を述べた  もちろん、冨美子も。だが彼女は擁護派であることに飽き足らず、過激派に転身した。そして彼女は波留子叩きに熱中する人々に殺意を覚え、ブログで自分の思いを発信することにした。そのブログのタイトルは『絞殺 鰐冨美子』。

(つづく)

 

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