冨美子がソイヤの診察を繰り返す過程で、患者と医師という関係は徐々に変容し、今や崩壊寸前まで来ていた。若禿山教授という共通の敵が登場したことによって、ソイヤに対する恋の炎はメラメラと燃え上がり、もはや消火不可能、冨美子はTowering Inferno状態である。郷ひろみは会えない時間が愛を育てると言ったが、冨美子の愛は十分に成熟し、これ以上、育つことは愛の老化を意味する。会いたい、今すぐ会いたい、そんな気持ちを抑えるために、冨美子はブログで若禿山教授を誹謗中傷しまくった。今や「絞殺」の対象はマスコミ人ではなく、若禿山教授であった。そんなある日、玄関のチャイムが鳴った。扉を開けると片手にワインボトルを持ったソイヤの姿があった。
話はころっと変わるが、ある女性政治家に不倫疑惑が持ち上がったとき、彼女が記者たちの取材に応じ、不倫を否定するのに「一線は超えていません」という表現を使った。これに対して記者のひとりが一線を越えるとは具体的に何をすることですかと切り返した。この質問に不倫女性は絶句するしかなかった。閑話休題、今まさに冨美子とソイヤが、この「一線」を越えようとしている、これからその模様を谷崎潤一郎ばりの筆致で具体的に描き出す。覚悟はいいか、そこの男子!?
「お土産」と言ってワインボトルを差し出したソイヤの腕を掴んだ冨美子は、彼をリビングに引きずり込み、ソファーに押し倒すと、自分もその隣に倒れ込んだ。その拍子に冨美子のスカートが大きくまくれ上がり、その太腿が露わになった。
物語の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします。自民党の総裁選挙の結果がただいま判明しました。新総裁に選ばれたのは松田聖子さんです。新総裁は松田聖子さんです。それでは自民党本部より中継でお伝えします。
……
あれ、繋がってない? もしもし、自民党本部の佐村河内さん。佐村河内さん、聞こえますか?
あっ、はい。こちら自民党本部です。ちょうど今、新総裁に選ばれた松田聖子氏の会見が始まったところです。
「……わたしは立候補もしていませんし、自民党員でもありません。そんなわたしが総裁になれたのは、ひとえにファンの皆様のおかげです。本当にありがとうございました。……」
まだ松田新総裁の会見が続いていますが、ここからはスタジオに政治評論家の狸さんをお招きして、今回の自民党総裁選を振り返ってみたいと思います。なお『老女医の奇妙な妄想殺人 第三話』は後日、放送します。さて狸さん、まさかの松田聖子とは驚きましたね。
まったくです。こんな結果になるなんて誰が予想したでしょうね。
……されながら冨美子は「こんなことになるなんて予想もしなかったわ」と、傍らで吐息をもらすソイヤに語りかけた。「そうかな。僕ははじめて会った時、感じたんだ。僕は冨美子と結ばれる運命にあると」「もしそうだとしたら、それは神様の手違いね」と……
すいません。ちょっと手違いがあったようで、別の番組の音声が流れてしまいました。大変申し訳ありませんでした。どうする? このまま続ける? あっ、そう。ええ、失礼しました。狸さん、お話を続けてください。
……された冨美子の足を高く持ち上げた。「嗚呼、ダメ。ソイヤ、ちょっと待って……
狸さん、ちょっとお待ちください。ここで自民党本部から新しい情報が入ったようです。佐村河内さん、伝えてください。
はい、こちら自民党本部です。先ほど新総裁は松田聖子と発表されましたが、これは間違いで、正しくは野田聖子であると訂正されました。ええ今、新総裁は衆議院議員の野田聖子氏であると改めて発表がありました。
はい、わかりました。佐村河内さん、また何か新しい動きがありましたら、伝えてください。ええ、お聞きの通り、自民党新総裁は野田聖子衆議院議員であると発表されました。狸さん、これは一体どうなっているのでしょうか?
……しながら「もう、どうなっていい」と冨美子は激しく……
また動きがあったようです。佐村河内さん、伝えてください。
はい。たった今入った情報によりますと、新総裁の苗字は野田ではなく、岸田であるということです。
ということは佐村河内さん、新総裁は岸田聖子ということで間違いないんですか?
いえ、それが名前までは確認できていません。現在確認できているのは姓が岸田だということだけで、新総裁は岸田という人だと。われわれも正確な情報を掴もうとしているのですが、自民党本部の方が混乱を極め、党役員も呆然としてるというのが現状です。
……した冨美子は呆然と天井を見上げ、……
ええと、どうしたらいいのかな。情報が錯綜しているようですが……。どうする? はい? あっ、はい。ええと、自民党新総裁についての情報は、この後の『News明日見7』で詳しくお伝えします。ここまで報道特別番組『松田聖子新総裁誕生』をお伝えしました。狸さん、本日はありがとうございました。なお番組の途中で大変お見苦しく、かつおぞましい点があったことを深くお詫びします。
翌日、目覚めた冨美子の傍らにソイヤの姿はなく、その代わりに机の上に「授業があるので先に出ます」という走り書きがあった。頭がズキズキする。二日酔いの経験は久しぶりであった。冨美子は膀胱に溜まった尿を排出すべく、そこら中に散らばったワインボトル、酎ハイやビールの空き缶を蹴散らし、トイレに向かった。その途上でパンツの中に手を突っ込み、尻をボリボリ掻いていると、大音量の屁が出た。台所で珈琲を淹れ、日課であるブログ更新のため、パソコンの電源を入れた。すると見覚えのないファイルがあることに気が付いた。そのファイルの名は『毒殺 鰐冨美子』。