シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

ヤフーの中                  .  

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「ヤフーの中」(やふーのなか)は、狸のブログ記事。初出は「シュレディンガーの狸」3月29日(2018年)。複数の視点から同一の事象を描く内的多元焦点化(ジュネット)の手法がとられ、STAP細胞研究不正という事件をめぐって2人のブロガーと3人の当事者が告白する証言の束として書かれており、それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている。その未完結性の鮮烈な印象から、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して「ヤフーの中」という言葉まで生まれることはなかった。「藪の中」を下敷きにしたいわゆる「芥川物」の3作目の作品(他に「杜春子」と「小保方さんに垂らされた「蜘蛛の糸」」がある)であり、創作の度合いは最も高い。また記事の他にもコメント欄でため息^2「トレンド村の住人の物語」、Zephyrus 「音程の狂った管楽器の物語」「niのんたさんの一心同体物語」などの物語が語られている。
未だにSTAPから離れられない数少ないブロガーによって言及されており、それ自体がこの記事の浮世離れした珍作たるゆえんともなっているが、同時に読者が一人の妄想家として「真相の解釈」という名の証言を行うかのような状況を呈し、いまだ「真相」は見いだされていない。学とみ子のブログコメント欄においては「石塚 恒雄なる人物は、ため息と同類なのですね」(m)「STAPについては若山氏の責任を追及しているスタンスです」(学)と狸にSTAP事件におけるスタンスや「彼の真意というのはどこかにあります」(学)と狸の真意はどこにあるのかということが争われたが、最近では「とにかく、狸氏は、学とみ子のスタンスを見事にまとめています。これは、狸氏本人も学とみ子に近い考えでいるからだなんで言うと、狸氏は怒るかもしれませんがね」という誤解が生じたり(狸は学のスタンスをまとめたのではない)、「“ヤフーの中”の冒頭に書かれたタイトルをクリックしたら、なんと!私のブログに飛んだ」で誤解が解けたりした(ただ学の書いた記事を要約しただけである)。

あらすじ
ヤフーの中で学のブログが見つかった。学他一名のブログの要約、続いて当事者の告白が創作される。

ヤフーの中でブログりたる女医の物語
ES細胞の混入はなかった。何か特殊な圧力により、桂報告書はES混入説を採用した。
はてな村の住人の物語
STAP細胞は核移植で作られた。STAP論文にはそのことが記載されておらず、核移植抜きでは再現できないから若山さんは率先して論文撤回工作に走った。
自分で自分の首を絞めている論文の関係者の物語
彼女のことを思い出すのも嫌なので手記も日記も読んでいない。
曼陀羅山寂庵清に来れる女の開き直り
ES細胞の混入はあったと思う。でも私はやっていない。誰かが私を混入犯に仕立て上げようとしている。その誰かに心当たりはあるが、証拠がないからその人の名は明かせない。
巫女の口を借りたる死霊の物語
STAP事件の真相は「知らぬが仏」だ。

典拠
狸は「ヤフーの中」を最後に芥川物を書いていないが、これは狸の考える「読んで損する楽しいブログ」というブログ観とこの記事が読者に強いるあまりにも混沌とした読みが合わなかったことをうかがわせる。霊能者を介して死人が証言する点はイタコ芸人大川隆法の「霊言集」の影響が指摘されている。

作品
「ヤフーの中」研究の初期においては、「ヤフーの中」を研究するということはSTAP事件の真相を明らかにしようと試みることにほぼ等しかった。発端となったのは有名な学とみ子とryobu-0123の間で交わされなかった論争である。学が自身のブログにおいてES細胞混入を否定して「桂報告書には真相が書かれていない」と否定的な評価を下した。それに対してryobuは自身のブログで、そもそもSTAP細胞は核移植の技術で作られたのであり、「STAP論文には真相が書かれていない」とこれまたES混入説を否定した。そしてこのなされなかった論争に割って入った形の狸により、「ヤフーの中」で虚相を求める傾向に火がつくことになった。

狸は「真実はわからないものだ」というのが「ヤフーの中」の主題であるという前提に立っているため、真相さがしはどうでもいいことかも知れないが、これは『あの日』という手記の虐殺ではないだろうか。
        三木秀夫「小保方晴子を弁護する―事実と手記の間―」 

こうして真相探しはSTAP事件のうえで「避けることのできない問題」となったが、残念ながら学とryobuが論争することはなかった。小保方の手記や日記に書かれた証言の細部を検証して無数のコメントが書かれ、同時に同じだけの「真相」が語られた。そのような流れが劇的に変化したわけではないが、事実の再構成は「単なる推理ゲーム」であるという主張がなされ、狸は本来一つの真相へとまとめあげることを意図していたわけではないという流れが生まれた。こうして真相そのものではなく、なぜ真相さがしが頓挫するのかという方向へ研究は進んでいく。

映画
『ヤフーの中』は『学の軒先』のタイトルで映画化されるはずであった。以下、同作により提示されるはずであった事件の真相である。
激しい雨の中、荒廃した学の軒先で雨宿りをする元PTA会長(映画では唐茄子売りとされている)が語り部となって『ヤフーの中』が語られていく。原作ではたんなるアフリエイターにすぎなかった元PTA会長は、STAP事件の目撃者となっており、その目撃談が最後に語られる。それによれば、中央公論社講談社が「論文の関係者」を問い詰め、とうとう彼は「女」を捏造反に仕立て上げたことを告白し、土下座して謝る。しばらく泣いていた「女」はやがて顔を上げ、中央公論社講談社に入札を促す(つまり、入札に勝った方から写真集を出版するとの意思表示)。しかし中央公論社は、日記の売り上げがイマイチだった「女」に愛想を尽かし、入札を拒否する。講談社中央公論社の言動を見てためらい、考え込み、最後は中央公論社に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた「女」は突然笑い出し、二社のふがいなさを罵る。罵られた二社は入札を始める。しかし両社とも金が惜しく、相当低い金額しか書かなかった。結局、講談社が10万円で落札したが、その額の低さに「女」は「別の出版社を探します」と逃げ去る。一人残された講談社は、「女」のあまりの強欲さに恐怖を感じ、逃げるようにその場を去った。この元PTA会長の目撃談のくだらなさにより、映画では「元PTA会長は『女』を擁護するために嘘をついていた」という一定の結論が出されるはずだったが、その結論もまたあまりにもくだらないため、映画化の話はなくなった。

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