シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

事件は会議室で起こっているのではない、どこでも起こっていないのだ。

前回の記事では過去記事に対するm氏の意味不明なコメントを紹介した。昨日もLさんから過去記事「「STAP細胞はあります」を正当化する小保方さんの戦略」に対するコメントを頂いたので、紹介しておく。

STAPを考える際、ひとつの極として、殆どの問題を小保方さんに帰するスタンスがあります。その対極で、小保方さんに対し最大限擁護のスタンスを取るとすれば、仰られている線までが、目一杯と思います。その両極の間で、色々なストーリーがあり得る状態でとどめ、手打ちにした訳ですが、その結末としての、小保方さんや理研CDBの処遇が適切であったか否か。冷静に再検証される機会はもう無いであろうことが、残念です。

「仰られている線までが、目一杯と思います」ということはES混入説を否定してまで小保方さんを擁護することは一線を越えることであると理解しました。そして私が不思議に思うのは、小保方さん自身が一線の中に留まっているのに、擁護の人たちは平気でこの一線を越えているということです。

例えばBPOによる「『STAP細胞報道に対する申立て』に関する委員会決定」は

a)STAP細胞の正体はES細胞である可能性が高い。

b)若山氏の解析及び遠藤氏の解析によれば、申立人の作製したSTAP細胞はア クロシンGFPマウスから作製されたES細胞である可能性がある。

の2点については「真実性又は相当性が認められる」としており、そして小保方さんはこの点については何も反論していない。

ES混入を否定することで小保方さんを擁護しようとする人たちは、例えば殺人罪で起訴された被告人が「わたしは殺していない、真犯人は別にいる」と無罪を主張しているのに、「殺人事件など起っていない」と頓珍漢な弁護する弁護人のようなものである。実に滑稽なのであるが、そのことがなぜ理解できないのか。

学とみ子さんは『小保方日記』を引用して「STAP事件、特に小保方ES混入否定論を展開している学とみ子にとっては勇気づけられる」と仰っているのであるが、こうなると彼女はもはや小保方さんを擁護するために「ES混入否定論を展開」しているのではなく、逆に「ES混入否定論を展開」するために小保方さんの主張を利用しているとさえ思えてくる。そして小保方さんに勇気づけられた学さんは今後も意気軒昂に「ES混入否定論を展開」することだろう。それが悪いというわけではない。所詮、個人のブログである。ただ滑稽だとは思う。そして、その滑稽さを学さんが自覚することはないだろう。

それにしても小保方さんの言うSTAP現象、すなわち酸処理した体細胞がOct4等の遺伝子を発現するという現象に生物学的に何らかの意義があるのでしょうか。常識的には、酸処理によって、その機能に異常をきたした細胞が本来発現するはずのない遺伝子を発現させたにすぎないという解釈に落ち着くと思うのですが、生物学の常識を覆す天才小保方さんはそれとは違った解釈があるのでしょうか。検証実験でSTAP現象が再現されたと声高らかに宣言しておきながら、その意義については沈黙するというのでは、私としては納得できないのであるが。

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