命題「AならばBである」について語る。
学とみ子さんが紹介したベン図は十分条件と必要条件についての「ベン図(包含関係)による覚え方」を示したもので、命題「AならばBである」については何も語っていない。なぜなら「集合Aが集合Bの部分集合である」の定義が「xがAの要素であるならばxはBの要素である」だからである。ただその命題のベン図による表現は視覚的・直感的に理解しやすい。しかしその命題の日常言語による表現「AならばBである」も同様に直感的に理解できる。
ウィトゲンシュタインは言う。
人間は、各々の語がどのように指示しているかにまったく無頓着でも、あらゆる意味を表現し得る言語を構成する力をもっている。〔中略〕
日常言語は、人間という有機体の一部であり、他の部分に劣らず複雑である。
日常言語から言語の論理を直接に読みとることは人間には不可能である。
思考は言語で偽装する。すなわち、衣装をまとった外形から、内にある思考の形を推測することはできない。なぜなら、その衣装の外形は、身体の形を知らしめるのとはまったく異なる目的で作られているからである。
『論理哲学論考』p39
では日常言語で「AならばBである」と表現される「その命題」とは何であるのか。その前にまず命題とは何であるかを考えてみる。命題であるための必要条件は、それが真であるか偽であるかのいずれかであることである。命題pが真であるとき、p=1と表記し、それが偽であるとき、p=0と表記する。
命題を構成する命題(例えば「AならばBである」という命題を構成するAとB)を要素命題と呼ぶ。ひとつの要素命題pで構成される命題F(p)は二つのタイプに分類される。要素命題pがF(p)の真偽を決定するタイプとそうでないタイプである。前者のタイプには二つの命題がある。F1(1)=1、F1(0)=0となる命題F1(p)とF2(1)=0、F2(0)=1となる命題F2(p)である。F1(p)はpが真であれば真、偽であれば偽である。このような命題を日常言語で表現すれば「pである」となる。そして命題F2(p)に対応する表現は「pでない」である。
もう一つのタイプはpの真偽とは無関係に真偽が決定される命題である。このタイプに属する命題も二つある。F3(p)=1とF4(p)=0である。つまりpが真であろうと偽であろうと常に真である命題と、その逆に常に偽である命題である。命題F3(p)に対応する日常言語は「pであるか、またはpでない」であり、命題F4(p)に対応するのは「pであり、かつpでない」である。前者はトートロジーと呼ばれ、後者は矛盾と呼ばれる。
では二つの命題p、qを要素命題する命題のうち日常言語で「pならばqである」と表現される命題G(p,q)とはどのような命題であるか。それはG(1,0)=0であり、それ以外はG(p,q)=1であるようなG(p,q)である。では命題pを具体的な記述「xはAの要素である」で置き換え、命題qを「xはBの要素である」で置き換えてみよう。そのとき真である三つの命題にはそれぞれ次のような図が対応する。
ところが偽である命題G(1,0)を図で示そうとするとxを二か所(Aの内側とBの外側)に記入しなければならない。「一つのものが同時に異なる位置に存在することは不可能である」という論理的事実から命題G(1,0)が偽であることが見て取れる。
- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
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