シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

【『逃げ恥』人気便乗企画第2弾】化粧は恥だが、仕方ない。

このタイトル、どういうことかというと、こういうことだ。

化粧は服を着替えるのと同じことだと思うので、人前でするのは恥ずかしい(30歳)

電車内メイク論争、「あり派」vs「なし派」それぞれの言い分 | 仕事全般 | 内定・仕事 | フレッシャーズ マイナビ 学生の窓口

「電車内でのメイクは特に気にならない」という静観派もいますが、全体では、メイク反対派が8割と圧倒的。20〜30代女性の「電車メイク」を見かけるからといって、同世代の女性すべてに受け入れられているという訳ではないようです。そして、少数のメイク擁護派で目立ったのが「時間がないんだから仕方ない......」というニュアンスの意見。家で済ませるのがベストだけど、止むを得ない場合は仕方ないのでは、と考える人が多いようです。

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で、私は気付いたわけだ。これまで女性がトイレで化粧を直すのは、そこに鏡があるからだと思い込んでいた。だがそうではなかった。そもそもトイレに鏡を設置する必然性はない。逆だったのである。

「化粧を人前でやるものではありません。人様へ直接迷惑をかけていなかったとしても、化粧を人前ですることは恥ずべきことなんです」(50代・主婦)

電車内の化粧には女性のほうが厳しかった!男性が気づきにくいその理由とは? – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

そう、「化粧を人前ですることは恥ずべきこと」だから、多くの女性はトイレで隠れてやる。そのためにトイレには鏡が必要となった、というのが真相なのだ。しかし、なぜ人前で化粧することが恥ずかしいのか、化粧しない私にはわからない。「化粧は服を着替えるのと同じこと」だとという意見に対しては、「スッピン顔=裸、化粧した顔=きちんとした服を着た状態」ということなら理解できるのだが、そうすると恥ずかしいのは化粧をすることではなく、スッピン顔を人前にさらすことになるのだが。

50代・主婦は人前での化粧を「恥ずべきこと」と言っているが、そういう人は実際に人前で化粧したことはないだろうから、「恥ずかしい」と感じた経験はないだろう。他方で人前で堂々と化粧する人の多くは「恥ずかしい」とは感じていないのだろう。「恥ずかしいけど、仕方ない」という意見のごく一部の女性だけが実際に「恥ずかしさ」を感じていることになる。

実際に人前で化粧して「恥ずかしい」と感じることと、人前で化粧することなく、その行為を「恥ずべきこと」と考えることは別物である。では多くの女性が人前で化粧しないのは常日頃、その行為が「恥ずべきこと」と考えているからであろうか。そうではなく、ただたんに、しないだけであろう。なぜ、しないのか。外出する前に化粧しているからである。では、なぜ多くの女性は外出する前に化粧するのか。そうすることが社会的習慣だからである。この社会的習慣を逸脱する他者の行為に出会ったとき、はじめてそれを「恥ずべきこと」と考えるのだろう。そしてやむを得ず自身が社会的習慣に反する行為をしたとき、「恥ずかしい」と感じるのだろう。

社会的習慣は時代とともに変化する。しかし社会にはそれを保存しようとする「力」が作用している。この「力」が人の理性に作用するとき、人は社会的習慣に反する行為を「恥ずべきこと」と考え、それが感性に作用するとき、人は「恥ずかしい」と感じる。この「力」に打ち勝つときにのみ、社会的習慣は変化する。

そして、意外に思える結果が表れたのが、男女別の数字です。

男性:20.4%

女性:12.1%

化粧にかかる手間を身に染みて分かっているぶん、女性のほうが車内での化粧について寛容なのかと想像していましたが、結果はその逆となりました。

電車内の化粧には女性のほうが厳しかった!男性が気づきにくいその理由とは? – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

電車内の化粧に女性のほうが厳しいのは、化粧は外出前にするものという社会的習慣が女性に固有のものであり、それを保存しようとする「力」は男性よりも女性に強く作用するからである。

電車の中で堂々と化粧する女性は、いわば革命家である。最近、この革命を弾圧すべく東急電鉄が大々的なキャンペーンを展開ていることが話題になっているが、実はすでに2012年に新京成電鉄がこの弾圧に乗り出していたことはあまり知られていない。

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