シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

走れm (下)

RI8【下ネタ注意】

mはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、あくる日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。mの六の息子も、きょうは父の代りにブログを更新していた。よろめいて歩いて来る父の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく父に質問を浴びせた。
「なんでも無い。」mは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの入学式をする。早いほうがよかろう。」
息子は驚いた。
「うれしいか。綺麗なランドセルも買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。入学式は、あすだと。」
mは校長の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、入学式を明日にしてくれ、と頼んだ。校長は驚き、そんな無茶なことができるはずがない、と答えた。mは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。校長も頑強であった。なかなか承諾してくれない。mはついに切れた。PTA会長のオレ様が頼んでいるんだぞ、と。校長は、このテの男の要求を拒否すれば何をしでかすかわからないと恐怖を覚え、承諾した。入学式は、真昼に行われた。mの挨拶が始まったころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。入学式に列席していた保護者たちは、何か不吉なものを感じた。あんな無茶を言う人をPTA会長にしていいのか。それでも、めいめい自分がやりたくないからmをおだててPTA会長に祭り上げた以上、mで我慢するしかなかった。mの挨拶が終わったとき、皆、元気なく拍手した。そんな保護者の気も知らずmは、満面に喜色を湛え、一生このままPTA会長でいたい、と思った。入学式の最中であるにもかかわらず、mは息子に近寄り、
「おめでとう。私がいなくても、ともだち百人できるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの父の、一ばんきらいなものは、小保方さんを疑う事と、それから、小保方さんを批判する事だ。おまえも、それは、知っているね。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの父は、すごく偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
息子は小保方さんを知らないが、とりあえず首肯いた。mは、それから校長の肩をたたいて、
「私がPTA会長になった学校の校長であることを誇ってくれ。」
mは笑って保護者たちにも会釈して、席を立ち、家に帰り、死んだように深く眠った。

眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。mは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。mは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。走らなければならぬ。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに大学に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。

そのとき突然、目の前に一隊の学生が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに大学へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部持って村へ帰れ。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから教授にくれてやるのだ。」
「その、いのちがいらんのだ。」
「さては、教授の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
学生たちは、一斉に棍棒こんぼうを振り挙げた。「気の毒だが講義のためだ!」と言った学生の棍棒がmの後頭部を直撃した。たちまち、三人に殴り倒された。何とか峠から転がり落ちたて学生たちから逃れることができたが、さすがに疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、mは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。真の勇者、mよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。まさしく教授の思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。そこで人格交代が起こった。

ここはどこなのか、なぜ私はここにいるのか、私はmの身代わりとして大学で捕らわれの身となったのではなかったのか。しかし、もう、どうでもいいという、阿呆に似合いのふてくされた根性が、モンタの隅に巣喰った。私は、この大事な時に、わけの分からない力が働いてこんなところにいる。私は、よくよく幸運な男だ。中途で身代わりをやめようとも思ったが、そもそも、はじめからmみたいな男の身代わりにならなければよかったのだ。ああ、よかった。これが、私の定った運命なのかも知れない。mよ、君は私を助けるために無心で走っているだろうか?   まあ、走っていないだろうな。私は君の身代わりになった。なのに君は私を欺き、私を見捨てる。君はそんな卑劣な男だ。だが君が戻って来なくても、私は殺されることはない。この上、何を望むことがあろう。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。研究不正をして自分が生き残る。それが研究者の世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。小保方さんのことなど、もうどうでもいい。写真集を出すなり、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにモンタは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと熱い吐息が出て、淫夢から覚めたような気がした。歩ける。戻ろう。私は身代わりなのだ。いまはただその一事だ。走れ! モンタ。
モンタ、やはり、おまえは真の阿呆だ。ゼウスよ。私は生れた時から阿呆な男であった。阿呆な男のままにして、やりたいことをやらせて下さい。
路行く人を押しのけ、跳はねとばし、モンタは黒い風のように走った。犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの教授は講義を始めているよ。」ああ、その教授、その教授のために私は、いまこんなに走っているのだ。急げ、モンタ。おくれてはならぬ。風態なんかは、どうでもいい。モンタは、いまは、ほとんど全裸体であった。
「ああ、君。」怒鳴るような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」モンタは走りながら尋ねた。
「警察だ。貴方を公然わいせつ容疑で現行犯逮捕する。」その若い警官は、モンタの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目だよ。むだだよ。走るのは、やめてなさい。もう、緊急配備がかかっているのだから、逃げきることは出来ません。」
「それだから、走るのだ。逮捕される前にどうしてもやりたいことがあるから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きい欲望に突き動かされて走っているのだ。ついて来い! 警官。」
「ああ、おまえは気が狂ったか。それとも、心神喪失を装って無罪になるつもりか。それならうんと走るがいい。」
言うにや及ぶ。最後の死力を尽して、モンタは走った。モンタの頭はからっぽだ。血液がすべて海綿体に流入している。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ歪んだ欲望にひきずられて走った。モンタは疾風の如く講義室に突入した。

「待て。その講義をしてはならぬ。人質のモンタが戻って来た。」と大声で講義の聴衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かすかに出たばかり、聴衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに講義が始まり、資料を持った教授が、徐々に教壇に近づいてゆく。モンタはそれを目撃して聴衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、人質のモンタだ。私を人質にしたmは、どこにいる?」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに教壇に昇り、教授の両足に、齧かじりついた。聴衆は、どよめいた。変態、出ていけ、と口々にわめいた。
「教授。」モンタは勃起した陰茎の先に尿道球腺液を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は自分の性癖に気付いた。あなたが若し私を殴ってくれなかったら、私はあなたに鞭打たれる資格さえ無いのだ。殴れ。」
教授は、すべてを察した様子で首肯き、講義室一ぱいに鳴り響くほど音高くモンタの右頬を殴った。殴られたショックで再び人格交代が起こった。m人格は言った。

「教授、私を殴れ。音高く私の頬を殴れ。私はこれまでずっと自分を偽ってきた。あなたに出会って、生れて、はじめて自分に正直になれた。あなたが私を殴ってくれなければ、私はあなたに緊縛されることはできない。」
教授は腕に唸りをつけてmの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」mは言い、嬉し泣きにおいおい声を放って泣いて、ひしと教授を抱き締めようとしたが、教授は素早く身をかわした。
聴衆の中からは、驚嘆の声が聞えた。教授は聴衆の背後から全裸男の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに男から離れ、顔をしかめて、こう言った。
「おまえの望みは叶かわないぞ。おまえが多重人格であり、二つの人格が同じ性癖を持っているという事実は、決して私の妄想ではなかった。だがわしには、そんな趣味は無いから、仲間に入るわけにはいかぬ。そのかわり、おまえの願いを聞き入れて、おまえの仲間となる女を招いておいたぞ。」
どっと聴衆の間に、歓声が起った。
「万歳、女王様万歳。」
ひとりの女王様が、緋の首輪をmに捧げた。mは、まごついた。佳き教授は、気をきかせて教えてやった。
「m、おまえは、まっぱだかじゃないか。早くその首輪を着けるがいい。この美しい女王様は、mの裸体が皆に見られるのを、たまらなく楽しんでいるのだ。」
ドMは、ひどく興奮した。

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