シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

走れm (上)

メロス(meros)は他人が自分をmと呼ぶことに激怒した。自分の名からerosを省略することが許せなかった。日本語的にはエロはない方がいいのだがmには日本語がわからぬ。というわけで自分をmと呼ぶ、かの邪智暴虐の教授を除かなければならぬと決意した。mには科学がわからぬ。mは、村のブロガーである。ブログに記事を書き、その記事に自分でコメントして遊んで暮して来た。けれどもネットの常識については、人一倍に無知であった。mには父も、母も無い。女房にも逃げられた。六の、内気な息子と二人暮しだ。この息子は、村の或る小学校に入学する事になっていた。入学式も間近かなのである。mは、それゆえ、息子のランドセルやら自分のスーツやらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。なぜ自分のスーツを買うかというと、mは息子が通う学校のPTA会長に就任することが決まり、入学式で挨拶をしなければならないからである。

mは多重人格であった。mの心の中には別人格のモンタがいる。モンタはmの竹馬の友という設定になっている。mは教授のブログを見て、語勢を強くして「兄ちゃん寝る」に質問を書き込んだ。誰も答えなかった。mは両手でキーボードを叩いて質問を重ねた。やっと答えが書き込まれた。
「教授は、あなたの感想文を添削します。」
「なぜ添削するのだ。」
「あなたのこれまでの教授に対する言動、それにあなたが「教授が『小保方さんが生きている事』を嫌っている」というデマを撒き散らすからです。」
「たくさんの人の感想文を添削したのか。」
「いいえ、教授は、自分の学生でもない、大の大人の書いた文書を、頼まれもしないのに添削するというのは、はなはだけしからんこと、傲慢なことだということを理解しています。だから添削したのはあなたの感想文だけです。」
「おどろいた。教授は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。あなたを、信ずる事が出来ぬ、というのです。あなたが『正々堂々の書き込みをお待ちしています』とコメントしたので、あなたのブログにコメントを書き込んだのに、それが反映されていないからです。」
読んで、mは激怒した。「呆あきれた教授だ。生かして置けぬ。」

mは、単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ大学に入って行った。たちまち彼は、警備員に捕縛された。調べられて、mの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。mは、教授の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」タメイケ教授は静かに、けれども威厳を以もって問いつめた。その教授の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「小保方さんを腐ったのクズの手から護るのだ。」とmは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」教授は憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの言うことが理解できぬようだ。」
「言うな!」とmは、いきり立って反駁した。「小保方さんの心を疑うのは最も恥ずべき悪徳だ。」
教授は落着いて呟やき、ほっと溜息をついた。「わしだって平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはmが嘲笑した。「読解力の無い人を皮肉って、何が平和だ。」
「だまれ、PTA会長。」教授は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、おまえの腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだってPTA会長の挨拶で『学校を良くする』と言う気持ちを伝えればよいなどと綺麗ごとを言っているが、本当はそんな気持ちなど微塵もない癖に。」
「ああ、教授は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、mは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の息子に、小学校に入学させてやりたいのです。三日のうちに、私は村で入学式に出席し、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と教授は驚いた声で大きく笑った。「とんでもないことを言うわい。だいたい、わしはおまえを処刑する気など毛頭ない。さっささと村へ帰れ。そして二度とここへは来るな。」
「いいえ。もう一度ここへ戻って来ます。」mは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。息子が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、モンタという私の無二の友人がいます。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて教授は、どう反応していいかわからなかった。意味不明なことを言うわい。こいつを放してやるのはいいが、もし戻って来たら面倒だ。それにしてもこいつに身代わりまで買って出る友人などいるのだろうか。どうせいないにきまっている。この嘘つきに騙だまされた振りして試してみるのも面白い。
「願いを聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りをきっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
mは口惜しく、地団駄じだんだ踏んだ。ものも言いたくなくなった。そのとき別人格のモンタが現れた。モンタは無言で首肯ずいた。主人格と別人格の間は、それでよかった。しかしそうでない者にとっては何が何だかわからない展開であった。主人格に戻ったmは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。教授は狐につままれたような顔でmを見送った。二度と戻って来ないことを祈りながら。

走れメロス

(続けるつもりである)