本日は「ハムレット」について、お話しします。
To be or not to be, that is the question.
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ
〔中略〕
この台詞の訳に関しては諸説ある。
角川文庫『新訳 ハムレット』の「訳者あとがき」で、この部分の翻訳一覧がある。
●「生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ」(市川三喜・松浦嘉一、1949年)
●「生か、死か、それが疑問だ」(福田恆存、1955年)
●「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志、1972年)
●「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(河合祥一郎、2003年)他にも
●「世に在る、在らぬ、それが疑問じゃ」(坪内逍遥、1909年)
To be or not to be, that is the question. | おもしろき こともなき世を おもしろく
翻訳家の皆さんは「To be or not to be」をどう訳すかに苦心しているようです。そこで私は天才翻訳家である「Google翻訳」さんに翻訳を依頼しました。結果は意外でした。
「それが問題なのかどうか、ということです」
目から鱗でした。名だたる翻訳家のみなさんが、「問題だ」と断定しているのに、天才は「問題なのかどうか」と疑問を呈するのです。そして締めのことばは「ということです」。そう言われれば「そういうことですね」と納得するしかありません。まさに天才のなせる技(手技ではありません)と言っていいでしょう。
しかし、この翻訳にも問題がないわけではありません。「それが問題なのかどうか」の「それ」が何を指しているのか、一目ではわからないという難点があります。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という場合、「それ」は「生きるべきか、死ぬべきか」を指していることは一目瞭然です。だから「生きるべきか、死ぬべきかが問題だ」と言ってしまえば、「それ」の出る幕はないことになります。しかし「生きるべきか、死ぬべきかが問題だ」とあっさり言ってしまえば、あまりその問題について深く悩んでいる雰囲気がでません。「それ」を挿入するのは、いわいるレトリックというやつですね。
話がそれました。天才翻訳家が「それ」で何を指示しているのか、それが問題なのです。例えば「それが青だ」という場合の「それ」が何を指示しているか? 少なくとも「日本国憲法」でないことは確かです。もちろん「早稲田大学理工学部の偏差値」でもありません。「それ」は何か青いものを指示しているのです。ということは「それが問題なのかどうか」の「それ」が指示しているのは「問題にするに値しない何か」「どうでもいい問題」であるということになります。
しかし世の中にはどうでもいい問題を問題にして、時間を無駄にすることで人生を楽しんでいる人がいます。例えば「Stap事件-若山氏の「特殊な手技」が記載されなかったSTAP論文 ②」という記事をアップしているさまよえるSTAP人です。
「特殊な手技」を使って作製しているから、僕がいなければなかなか再現がとれないよ。世界はなかなか追いついてこられないはず
と若山照彦さんが言った、と小保方晴子さんが『あの日』で書いています。この「特殊な手技」については、実は私も去年の5月に問題にました。
そう、私もさまよえるSTAP人のひとりなのです。そんな私は最近、ブログを続けるべきかやめるべきか悩んでいました。
しかしGoogle先生のおかげで「続けるべきか、やめるべきか、それが問題だ」が「それが問題なのかどうか、ということです」に翻訳され、悟りの境地に達しました。世の中には本当に問題にするに値する問題など、そんなに多くはないのです。小保方さんもいろいろ問題を抱えているようですが、そんな小保方さんに贈ることばです。
それが問題なのかどうか、ということです。