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シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

小保方さんに垂らされた「蜘蛛の糸」

「蜘蛛の糸」は子供のために書かれた短編小説である。そのあらすじは以下の通りである。

釈迦は地獄を覗き、カン陀多という男を見つけた。彼は悪党であったが、過去に一度だけ善行をした。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出そうと、一本の蜘蛛の糸をカン陀多に垂らした。

カン陀多は糸につかまって昇り始めた。ところがふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。重みで糸が切れることを恐れたカン陀多は「この蜘蛛の糸は俺のものだ。降りろ」と喚いた。すると蜘蛛の糸がカンダタの所から切れ、彼は再び地獄の底に堕ちてしまった。

その様子を見ていたお釈迦様の行動について「蜘蛛の糸」は次のように描写する。

 

 (お釈迦様は)悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カン陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

 

蜘蛛の糸 (280円文庫)

「自分ばかり地獄からぬけ出そうと」したから蜘蛛の糸は切れたと解釈するのが妥当である。その糸はお釈迦様が垂らしたのであるから、それはお釈迦様の意図(変換ミスではない)であったといえる。

しかし、である。

カン陀多は本来、悪人である。自分さえよければ他人はどうなってもいいと考える人間である。そんな人間を、お釈迦様が本気で救うつもりなら、何があっても切れない蜘蛛の糸を垂らすべきである。

お釈迦様はカン陀多を試したのだろうか。万一、カン陀多が「みんな一緒に極楽へ行こうぜ」的発想を持つような善人になっていたら、彼は救われたのだろうか。

しかし、である。

蜘蛛の糸が切れ、自分もまた地獄に落ちるという恐怖心にうちかつのは、並大抵のことではない。マザー・テレサでもない限り、「おまえらは降りろ」と喚いてしまうのではないだろうか。この恐怖から発せられた喚きは罪なのだろうか。もし罪だとしても、いったん地獄から救われるという希望を持った者を、再び地獄につき落すという残酷な罰を与えるほどの罪なのだろうか。

お釈迦様は、はじめからカン陀多を救う気はなかったのだ。ただカン陀多に見たとき、ずべてを見通して蜘蛛の糸を垂らした。そしてお釈迦様の予測通り、カン陀多は元の地獄に落ちた。

お釈迦様は結局、何がしたかったんだ? たんなる暇つぶしか??

  

 昨年、総長からは、指導過程および学位授与の審査過程に重大な不備・欠陥があったとの理由から、猶予期間を設けて論文訂正と再度の論文指導を受ける機会を与えるとし、これが適切に履行された場合には取り消さず学位を維持する、とのご決定を戴きました。 

 小保方さん「早稲田大学の決定はとても不公正」博士号「取り消し」にコメント(全文)|弁護士ドットコムニュース

この決定が小保方さんに垂らされた「蜘蛛の糸」である。

小保方さんはその「蜘蛛の糸」を昇り、そして「糸」は切れた。

早稲田には、はじめから小保方さんを救う気はなかったのである。

 小保方さんも、今はそう考えている。

これでは、当初から不合格を前提とした手続きであり、とても不公正なものであったと思います。 

ちなに小保方さんは

 今回の同じ研究科における再度の審査過程では、今回の修正論文は博士に値しないとされることは、前回の授与時判断と大きくかい離する結論であり、指導過程、審査過程の正当性・公平性について大きな疑問があります。 

と言うけれど、早稲田大学は論文の審査はしていないと発表している。

 指導教員らの指示に従って何度か改訂稿が提出されたものの、それらの改訂稿は、なされるべき訂正作業が終了しておらず、審査に付すべき完成度に達していないことから、先進理工学研究科では10月29日の運営委員会で協議を行い、論文審査に付すことができないことを確認した。 

 早稲田大学における博士学位論文の取扱いについて – 早稲田大学

お釈迦様が何をしたかったのかは判らないが、早稲田がしたかったことは判るような気がする。早稲田としては、本来なら即刻、学位を取り消したかったのに、自分たちにも学位授与において「重大な不備・欠陥があった」以上、即刻取消というわけにもいかず、結局、小保方さんにも再度チャンスを与えるかのようなパフォーマンスをせざるを得なかった、というのが本当のところではないだろうか。。

小保方さんは早稲田に無駄な努力を強いられたという意味で気の毒だった。

しかし私は今回の件は、小保方さんも早稲田の真意を判っていると思っていた。だから小保方さんは何もせず、期限が来て学位取消が確定すると予測していた。そのため論文が提出されていたことには少なからず、驚いた。小保方さんは奇跡を期待したのだろうか。いずれにせよ小保方さんのあきらめない精神力には感服した。