シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

女優を演じる女優・番外編

映画『アクトレス 女たちの舞台』のあるシーンを見たほとんどの男性は映★画太郎さんと同じ感想を持ったのではないでしょうか。

あと、ビノシュ演じるマリアとクリステン・ステュワートが演じるヴァレンティンが湖で泳ぐシーンがあって、クリステン・ステュワートが服を脱ぎだして下着姿になるので「…をっ、もしかしてヌードありか?」と期待したんだけど、スッポンポンになるのはビノシュの方でクリステンは下着止まり。

あの場面はもしかしたら今年観た映画の中で一番可笑しかったかもしれない。マジでスクリーンにツッコみそうになったもの。「あんたじゃない!!」って。

しかも下の毛まで出してるのに、PG12って。安いな~、ジュリエット・ビノシュの裸。

昔、女優さんが必然性があれば、脱ぎますと言っているのを聞いたことがあります。ジュリエット・ビノシュもまたあのシーンでは全裸になる必然性があったのです。クリスティンも脱ぐであろうと期待させておいて、脱がない。そうすることで下着をつけたままのクリスティンを印象付けるために。

映画を観た人はよく思い出してください、あのシーンでクリスティンがどんな下着を付けていたか、厳密に言うと、どんなパンツをはいていたか。とてもクリスティンの年代の女性がはくようなものではない、まったく色気のない、おばはん御用達のパンツでした。

この日の夜、クリスティンは恋人に会いに行く。朝帰りした彼女が眠る寝室をジュリエットが覗く。そこで彼女が見たものは!?

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ティーバックをはいて眠るクリスティンでした。おばはんパンツからティーバックへはき替えることの意味は言うまでもありません。そしてこのティーバックはジュリエットの嫉妬心を掻き立てるのでした。

 

そもそも、なぜこの映画について考えてみようと思ったのかというと、エピローグが何とも奇妙で違和感を覚えたからです。クリスティンはなぜ消えたのか、という問が提起されるどころか、そこでは過去にクリスティンという人物が存在していたという事実そのものが消されていしまっているかのようです。誰もクリスティンについて語らず、誰も彼女のことを思い出そうともしもない。クリスティンの存在そのものを否定する理由をできるだけ論理的に説明してみようと思い立って、考え始めて得た結論が女優を演じる女優・ジュリエット編女優を演じる女優・クリスティン編女優を演じる女優・クロエ編でした。もちろんこの結論が正しいと言うつもりはありません。自分が納得できればそれでいいのです。

また私のように納得できないから、考えてみるという姿勢は映画を鑑賞する態度としては邪道かもしれません。いずれにせよこの映画が私のお気に入りであることは間違いありません。

3人のハリウッド女優が出演する非ハリウッド映画

アクトレス 女たちの舞台(字幕版)