シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

雨の下に佇む「令」

平成最後の記事なので、新元号の令和にちなんで「令」の話をする。ただし、ただの「令」ではない。雨の下に佇む「令」である。

 

十進法では一桁の数字は1から9まである。そして9の次の数字は最初の二桁の数字10である。すべての数字は1から9までの数字と、ある位が空位である(その位に数字が存在しない)ことを示す記号0を用いて記述することができる(位取り記法)。記号0は位取り記法のために発明された。そしてこの記号もまた数字であると認識(ゼロの発見)されるのに、ずいぶんと時間がかかった。

位取り記法によれば、空位が存在するのは二桁以上の数字で、しかも最も高い位が空位になることはない。したがって一桁の数字に空位が存在することはない。一桁の位が空位であることは、何も書かないで示される。あるいは「無」や「空」ということばを書けばいい。

N進法で記述されたn桁の数字は(N-1)×[N^(n-1)]個である。例えば二進法では一桁の数字は1だけ、二桁の数字は10と11で2個、三桁の数字は100、101、110、111の4個となる。十進法の場合、一桁の数字は9個、二桁の数字は90個、三桁の数字は900個である。ところが0を数字と考えると、一桁の数字だけこの法則が破られることになる。

そうすると0は無桁(桁の無い)数字と考えればいいのではないか。そのとき問題となるのは法則(N-1)×[N^(n-1)]に従えば無桁の数字は何個あるか、である。例えば、二進法で無桁の数字は1×2^(0-1)=1/2、すなわち0は1/2個ある。そして0が1/2個あるという事態をひとつの0の半分はゼロと呼ばれる数字であるが、もう半分は数字でないと考える。では数字でない0とはなんであるか?

一般にN進法で記述された無桁の数字は(N-1)/N個存在する。そのような状態を、無桁の数字は数字でない部分を1/Nだけ含んでいると解釈する。つまりNが無限大になるとき、0は完全な数字となる。そしてNが無限大になるということは位取り記法を放棄することを意味する。つまりそこでは空位を表わす記号は用いられない。そのとき0は完全な数字となる。だから数字でない0とは空位を表わす記号である。

私はその記号を「(れい)」と呼ぶ。

  

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