沈黙の意味(第1回)
ことばには意味がある。
話すということは、ことばを発することであり、
それはまた意味を創造する行為でもある。
ということは、話さない、つまり沈黙するということは意味を創り出さないのか?
否、断じて否、である。
諸君が日々発することばなどとは比較にならないほどの重い意味が、沈黙にはある。
ただし正当な理由のある沈黙はそうではない。
例えば葬式で坊さんがお経をあげているときに沈黙する場合である。
しかし合コンで沈黙することは許されない。
もちろん最初から最後まで沈黙が合コンを支配することはありえない。
しかし会話が途切れることはある。
そのときすかさず、A子が言う。
「あっ、天使が通ったね」
すると待ってましたとばかりに、B子は
「え、どういう意味?」と尋ねると、したり顔でC男が
「会話が途切れることをフランス人は『天使が通る』って言うんだよ」と説明し、
「そうか、フランス人も日本語を喋るんだ」とD男がボケる。
ただ、このボケは純粋なボケではない。そこには棘がある。
D男はC男が自分の博識ぶりを披露したことに少なからず苛立ちを覚えたのである。
この棘のあるボケのおかげで、場は一瞬気まずい雰囲気に支配され、再び沈黙が訪れる。
そこで、またもやA子がリーダーシップを発揮して
「そろそろ、お開きにしましょうか?」と提案する。
もちろん、誰もがこの合コンは失敗だと感じていたので、皆、素直にA子の提案に従う。
D男「そうだね」
B子「ほんと、今日は楽しかったわ」
C男「近いうちに、またやりたいね」
あ~、くだらね~
いかに巷にくだらない会話が氾濫しているかを例示しようとして、ここまで書いてきたが、
実際、書いていて、そのくだらなさに鳥肌が立ってきた。
くだらない会話でも当事者が楽しんでいるのだから、オマエがとやかく言う筋合いではないとか、
合コンに縁がないからといって僻むなとか、
諸君にも色々言い分があろう。
てゆーか、もう収集がつかない。
「沈黙の意味」については仕切り直して語ることにする。
本日の講義はここまで。