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シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

象は鼻が長い、そして私は頭が痛い(1)

「象は鼻が長い」という文章における主語は「象」か、それとも「鼻」か?

まずはっきりさせねばならないのは、そもそも主語とは何か、という問題である。

英文では主語が何であるかは明確である。

そこでまず「象は鼻が長い」という日本語の文を英訳してみると

The elephant has a long trunk.

となる。

主語はelephant(象)である。ただしその主語に対応する述語はhasという動詞である。しかし問題の日本語文では述語は「長い」という形容詞である。

そしてこの形容詞に対応する主語が何かが問題となっているのである。

ではlongという形容詞を述語として、先の英文を書き換えると

The trunk is long

となる。

この英文を日本語に翻訳すると「象の鼻(trunk)は長い」となる。

この文の意味は「象は鼻が長い」という文とほとんど変わらないし、その文に特に違和感を感じることもない。

そして「象の鼻は長い」の主語が「(像の)鼻」であることは明らかである。

したがって「象は鼻が長い」という文章の主語についても、それは「象」ではなく、「鼻」であると結論付けることに特に問題はないと考えられる。

 

では「私は頭が痛い」の主語もまた「頭」でいいのか?

しかし、この文章を「私の頭は痛い」と書き換えると、何となく違和感を覚える。

また、この文章を英訳すると

I have a pain in my head.

となり、「痛い」に相当する形容詞(painful)は登場しない。

おそらく英語圏で育った人は、

I have a painful head.

My head is painful.

といった英文に違和感を覚えるのではないだろうか。

 

「私は頭が痛い」において「痛い」という述語(形容詞)の主語は何かを考えるの上で、その語を感情を表現する形容詞(感情形容詞)と比較することは有益である。

感情形容詞とは、例えば「悲しい」「楽しい」「恥ずかしい」等々である。

感情形容詞の主語が人称代名詞である場合、それは一人称、例えば「私」である。

「彼は悲しい」は日本語として誤りである。

「彼」が悲しんでいることの正しい表現は「彼は悲しむ」である。

一般に感情形容詞に対応して感情動詞というものが存在する。

例えば「悲しい」には「悲しむ」という動詞が、「楽しい」には「楽しむ」という動詞が、そして「恥ずかしい」には「恥じる」あるいは「恥ずかしがる」という動詞が対応する

感情形容詞は感情を表現する語であり、「私」の感情を表現できるのは「私」だけである。

人は、他人がどのような感情を持っているかを知ることができない。

 

感情形容詞が感情を表現する語であるのに対し、感情動詞は感情に起因する人の動作・振る舞いを指示する語である。

「彼は悲しんでいる」という文は「彼」の振る舞いについて述べたものである。

「彼」の振る舞いが「悲しむ」という動詞によって指示されるのが妥当ならば、すなわちその人が現に悲しそうに振る舞っているならば、実際にその人が「悲しい」という感情を持っいるか否かは問題ではない。

 

もちろん人は嘘をつくことができるから、「私は悲しい」と言う人が、必ずしも悲しんでいるとは限らない。

したがって、疑問文においては二人称、三人称は感情形容詞の主語になる。

「あなたは本当に悲しいのか?」「彼は本当に悲しいのか?」

さらに言えば、疑問文においては一人称も主語になることがある。

「私は本当に悲しいのか?」

私は先に「人は他人がどのような感情を持っているかを知ることができない」と述べたが、これは自分自身にも当てはまる場合がある。

人は自分がどのような感情を持っているかが判らなくなる場合がある。

感情とは理性と違って、不条理なものであるからである。

 

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