初めに言葉ありき。
だが、その言葉にはまだ意味は無かった。
その言葉とは「無い」という形容詞である。
日本人は誰もが意味もなく「ナイ」「ナイ」と発音していた。
形容する言葉は有るが、形容される言葉(名詞)はまだ無かった。
次に「これ」という言葉が生まれた。
人々は「コレ」と発音するだけでなく、それと同時に目の前に有る物を指さした。
この指さすという動作によって「これ」という言葉は名となった。
「これ」という名の担い手は目の前にある物であった。
その次に「有る」という言葉が生まれた。
それは動詞であった。
その動詞は、最初は「これは有る」と語る人の(指さすという)動作と無関係ではなかった。
そして「有る」という動詞は「これ」という名と結合し、「これは有る」という文を成立させた。
その結果、「これ」は主語、「有る」は述語となった。
そして「有る」という動詞は、人の動作とは無関係となった。
「有る」という言葉は「これ」という主語の述語となることによって意味を獲得した。
「有る」は、「これ」という名の担い手である多種多様な物に共通する、最も基本的な状態を指示する言葉である。
「有る」という言葉が意味を獲得したとき、「無い」という言葉に意味が生まれた。
人は「無い」という言葉と「これ」という言葉を、あえて結合させなかった。
そうすることによって、その言葉に「有る」の反対の意味を与えた。
「無い」という述語に対応する主語として「それ」という名が生まれた。
「それ」は名の担い手が存在しない名である。
人が「それは無い」と語るとき、いかなる動作も伴わなかった。
「それ」もまた言葉であるから、名の担い手は存在しなくとも、意味は有る。
「それ」という名の意味は「それは無い」という文の意義から生まれた。
「それ」は「無い」という性質を有するものの名である。
そして「それ」という名とその名の意味が混同された。
本来「それという名の意味は有る」と語るべきところ、人はたんに「それは有る」と語った。
「有る」と「無い」の共通する主語となり得る唯一の名は「それ」だけである。
名の担い手である多種多様な物は自分自身に固有の名を持つことになった。
ありとあらゆる物に固有の名が与えられたとき、「これ」は代名詞と呼ばれるようになった。
そして「それ」もまた代名詞となった。
そのとき「有る」と「無い」の共通する主語となる固有の名が生まれた。
その名は「神」である。
終わりに「神」ありき。