シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

女優を演じる女優・ジュリエット編

考えることを要求する映画というものがある。私はそういう映画が苦手である。例えば『ワンダーウーマン』のように何も考えずに観て楽しめればいい。しかしまた自発的に考えたくなる映画というものもある。 『アクトレス 女たちの舞台』(原題"Clouds of Sils Maria")はそういう映画である。以下あらすじを紹介するが、三人の女優ジュリエット・ビノシュ、 クリスティン・スチュワート、 クロエ・グレース・モレッツについては映画の役名ではなく、それを演じる女優名で記すことにする。

ジュリエット・ビノシュは、18歳で劇作家ヴィルヘルムの書いた戯曲『マローヤのヘビ』に出演し、一躍有名となり、今や押しも押されもしない大女優である。彼女は今、マネージャーのクリスティン・スチュワートと共に、チューリッヒ行き列車の車中にある。ヴィルヘルムの代理として映画賞授与式に出席するためである。その車中でジュリエットはヴィルヘルムの訃報に接する。

戯曲『マローヤのヘビ』の再演が企画され、ジュリエットにも出演依頼があったが、当然、彼女が演じるのは、若い頃に配役されたシグリッド役ではなく、そのシグリッドによって破滅に追い込まれる40才のヘレナ役である。ジュリエットはその依頼を断っていたが、授賞式の後で演出家から、更なる説得を受ける。ジュリエットは演出家にこう言う、「わたしは今でもシグリッドなの」。

さて、ここからは映画を観て私が考えたこと(妄想)も含めたあらすじ紹介となる。

ジュリエットの解釈によれば、シグリッドは自由で破壊的で予測不可能であるのに対し、ヘレナはその真逆である。そこで演出家はこう問う、「ではなぜヘレナはシグリッドに惹かれるのか」。ジュリエットの答えは明快、「若さ」である。

しかし演出家はまったく違った解釈を与える。彼の解釈によれば、確かにヘレナは裕福で責任ある仕事をしているが、しかし秩序とは無縁であり、家庭や社会的地位を犠牲にする破滅型の女性である。そしてこのヘレナの隠された暴力性を呼び起こすのがシングリットであり、ふたりは「同一人物」である、と。だからシグリッドを演じたことのあるジュリエットならばヘレナになれる、と演出家は説得する。

ヴィルヘルムは『マローヤのヘビ』の続編を書いていた。ジュリエットの解釈によればそれは40歳になったシグリッドの物語であり、演出家の解釈によれば、20年後、シグリッドがヘレナになる物語である。どちらの解釈が正しいのか、この時点では明らかにされない。そしてヘレナの本当の姿を明らかにすることがこの映画のテーマである。

 

ジュリエットが出演したハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ

 GODZILLA ゴジラ(字幕版)