シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

元始、女性は太陽であった(1)~平塚雷鳥誕生秘話~

「これって、狸さんが取り上げる話題になるかもね」とため息さんに言われたからではありませんが、ネタ枯れでブログの更新を怠っていた私に、学さんは格好のネタをくれました。

女性が男性より優位にたつものは、疑いもなく、女性は子供を生める性であることでしょう。

つまり、子宮で考えるとしたコンセプトは、ここからきているわけです。
では、その意味を考えると、[子宮でものを考える]は、女性の自画自賛の精神であろうと思います。

だとしたら、「女性には子宮がある」でいいんじゃね。あえて男女が共有する脳ではなく女性固有の器官である「子宮でものを考える」にしたのは、男は普通に脳で考えるが、女性はそうではないという点を強調したいからで、要するに女性は何も考えていない、あるいは、女性の考えは異常であるということを言いたいのである。「[子宮でものを考える]は、女性の自画自賛の精神であろう」という学さんの考えは異常であると言っておいて、この話題はここまでにする。

本題は、女性が「自画自賛」する精神を表わすことばとして私が思いついたことば「元始、女性は太陽であった」についてである。このことばの主は本名・平塚明(はる)である。ここでは雷鳥になる以前のはるのユニークなエピソードを再現ドラマ風に紹介しよう(ネタもとはこちら)。

  場所は待合(現在のラブホ)、男ははるをベッドに誘う。

男: ここにいらっしゃい

  そのとき、はるは驚くべき反応を示した。

はる: 私は女ぢゃない、男でもない、それ以前のものです

  男は目が点になるも、とりあえず言った。

男: 恋愛や性欲のない人生はどこにもないんです、それじゃ無のようなものじゃないですか

はる: 無で結構です

男: あなたは若くして死ぬ人だ、だから死ぬ瞬間が一番美しいあなたを殺したい

はる: あらゆる矛盾を含んだままの無の世界がわたくしの世界だ、すでに死を通りすぎた寂滅の世界だ

男: わたくしはあなたなら殺せると思う、殺すよりほか、あなたを愛する道がない

 

こうして明治41年、22歳のはるは男と死ぬことにした。遺書には「恋のため人のために死するものにあらず。自己を貫かんがためなり。自己のシステムを全うせんがためなり」と書いた。だが男には、はるを殺す気も自分が死ぬ気も無かった。ふたりは塩原温泉の山奥を彷徨っているところを警察に保護された。この事件(塩原事件)は当時のマスコミで大々的に報道され、はるはスキャンダラスな存在として小保方晴子さんと同様に世間から後ろ指を指された。色情狂とまで言われた。しかしはるはこのとき、まだ処女だった。この事件は後に『煤煙』というタイトルの小説になった。小説を書いたのは男だった。手記ではなく小説であるから嘘も許されるが、事件の実情を知る者は「よくもあんなに綺麗事に仕上げたものだ」と感想をもらしたという。

はるは事件から2年後、雑誌『青鞜』の発刊の辞『元始女性は太陽であった』を書き、平塚雷鳥が誕生した。雷鳥は「らいてう」と表記するのが一般的だが、「らいてう」と書いて「らいちょう」と読むことができない私(できるのは西岡さんぐらい)は「雷鳥」と表記することにする。 

元始、女性は太陽であった〈上〉―平塚らいてう自伝 (1971年)

元始、女性は太陽であった〈上〉―平塚らいてう自伝 (1971年)