シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

これはどんでん返しではなく、卓袱台返しだ。

映画『パッセンジャーズ』の話である。ちなみに近頃、ブログを書く時間を惜しんで映画を観ている私である。そしてある意味、一番印象に残ったのがこの『パッセンジャーズ』である。以下にあらすじの一部をWikiから引用する。

セラピストをしているドクター、クレア・サマーズは、ある日飛行機事故で生存した5人を受け持つことになった。グループカウンセリングの度に、窓の外にある人物の影が…そして、メンバーが一人ずつ消えていく…。クレアは徐々に、航空会社が過失を組織ぐるみで隠すために、生存者を口封じのため狙っているものと疑い出し、解明のため奔走する。その中、生存者の一人エリックは、唯一自宅での個人カウンセリングを希望。事故のショックからか、躁状態とも言える彼の突拍子もない行動に、振り回されっぱなしのクレア。しかし、自分の心の痛みにそっと寄り添ってくれている彼に、戸惑いながらも次第に惹かれていく。
クレアは事故の真相を探るため、航空会社代表のアーキンに話を聞くが、相手にされない、彼は何かを隠しているようだった。また、度々、クレアはエマを訪ねるが、いつも姉は不在だった。帰りがけ、クレアの前に、自分も事故の生存者だと、男が現れる。リストにない生存者の存在に、航空会社への疑いは増すばかりだった。上司のペリーに相談するが、陰謀説だと笑って否定する。

全部を引用しないのはネタバレを防ぐためである。皆さんにおかれましては、何の予備知識もないまま、この映画を観て、私と同じ気分を味わっていただきたい。だからこの映画を観る気のある人は以下は読まないでくださいね。

さて、この映画で私が強烈な違和感を抱いたのはクレアがアーキンに詰め寄る場面である。Wikiには航空会社代表と記述されているが、どう見ても一介のパイロットにしか見えない。その場所も空港のロビーである。事故を起こした飛行機のパイロットは死亡している。クレアはなぜこのパイロットが真相を知っていると考えたのか、何の説明もない。

この映画のテーマが事故の真相でないことは、鈍感な私でも分かった(ちなみに敏感な人は上記の場面でオチに気付いたとアマゾンのレビューに書いてあった)。それから次々と謎めいた(というか違和感を抱かせる)展開が続く。

例えば映画『カメラを止めるな!』では最初の30分はゾンビドラマ『ONE CUT OF THE DEAD』を見せられるのであるが、このドラマ、くだらないが、それ以上に違和感を抱かせる場面が多々、登場する。そして残り60分でこのドラマがどのように撮影されたかが描かれ、違和感の正体が合理的に説明される。

だが『パッセンジャーズ』の場合、違和感が募る(謎が深まる)ばかりで、何の説明もない。そして突然のどんでん返し、否,卓袱台返しである。結末を見た途端、これまで感じたすべての違和感が「もーどうでもええわ」になった。私は私なりに次のようなオチを予想した。すなわち飛行機事故で死亡した乗客にはクレアの姉も含まれており、クレアはその事実を受け止められず、精神的におかしくなり、航空会社の陰謀説という妄想に取りつかれた。そしてクレアがカウンセリングしていたしていた患者こそが、実は彼女の治療にあたる精神科医であった。だが、この予想はまったく外れていた。というか、そんな結末、予想できるわけないやろ、と怒鳴りたくなる結末であった。

それはクレアの妄想ですらなかった。では一体何だったのか?何だったでしょうね、と言うしかない、学とみ子さんのブログ顔負けの、おもいっきり不合理な映画である。このおもいきりの良さに免じて★三つあげましょう。『パッセンジャーズ』はWikiによればサスペンススリラー映画に分類されているが、私に言わせれば、この映画、恋愛ファンタジーである。 

パッセンジャーズ(字幕版)

パッセンジャーズ(字幕版)