シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

三原じゅん子さんにお伝えしたいこと

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日本最初の国語辞典『言海』によれば(タカラ)の語源は「田から」であるとされている。「田から出ずる」という意味であるとして、もともとは穀物を意味していたとされている。ただし、『言海』はそう断言しているわけではない。

もう一つの可能性として(チカラ)が転じて、タカラとなった可能性が指摘されている。その根拠として「田税」(タヂカラ)という語の存在をあげている。「チカラ」という語は昔、「税」や「貢物」を意味していたのである。

しかし『言海』には一貫性がない。

例えば(ヤカラ)と言う言葉については、「家従の義か?」と断言はしていないが、この「家従」には「ヤカラ」と振り仮名がある。しかし「従」を「カラ」と読む例を私は知らない。

他方で(トモガラ)については「伴族の義」と断言しておきながら、「伴族」には振り仮名はない。「伴」は現在でも「トモ」と読むから、「族」は「ガラ」と読むことになる。とすれば「ヤカラ」の意味は「家族」と解するのが自然である。

同胞(ハラカラ)については「腹から」の意味であると断言する。これは「宝」と同じで、(同じ女性の)腹から(うまれた子供)、つまり兄弟姉妹ということであるが、そうだとすると「族」「輩」とは無関係な言葉になってしまうが、それでいいのだろうか。

 

「ヤカラ」「トモガラ」「ハラカラ」がすべて同類であるとするとどうか。仮に「族」とかいて「から」または「がら」と読むとしよう。すると3つの語はそれぞれ漢字で「家族」「伴族」「腹族」と書くことができる。「カラ」とは人々の集団を意味する語である。

そして「タカラ」もまた「田族」なのである。

では「田族」とは何か。

そのヒントとなるのが「」と書いて「オオミタカラ」と読んでいたという史実である。「オオミタ」は漢字で書くと「大御田」であり、天皇直轄の田である。したがって「民」(オオミタカラ)とは大御田を耕す人々という意味になる。「宝」とは何の関係もないのである。

そのように解釈すると「タカラ」と「チカラ」はもともと同じ意味であったと考えることもできる。田=地であるから、「チカラ」は「地族」である。

 

さて「オオミタカラ」という語は後の人の解釈で「大御宝」とされたのであるが、「宝」を意味する「タカラ」という語の語源がもし「田族」であるとすれば、三原じゅん子さんの主張はけっこう間抜けなものとなるのであるが……。

 

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 この詔を素直に読んでみますと、国民のことが「おおみたから」と呼ばれているように、自分より他人をいつくしみ思いやる利他の精神、きずなを大切にするこころや、日本の家族主義のルーツが、ここに表れているのではないかと私は感じました。