シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

法螺あ小説「京阪電車のお圭はん」【後編】

この電車は永遠に走り続けるのです」圭がそう言ってから、どれだけ経つのだろう。車窓の外は暗闇で何も見えない。何があるのか、あるいは何も無いのか、それすら判らない。ただ私たちを乗せた電車が暗闇の中を走っている。だがそれも電車の揺れで、そう感じるだけで本当に走ってるのかどうかは判らない。なお前編の冒頭で「発射」と書いたが、これは「発車」の変換ミスであった。お詫びして訂正する。

さて、これまで饒舌に話し続けていた圭が一転して、沈黙しているのはなぜだ。嫌な予感がしそうな気がする。と、思ったとたんに圭は再び語りだした。だがその口調は、前編のそれとは異なり、重苦しいものに変わっていた。

「わたくしの母はあなたが思うような人ではありません」。はあ、こいつ、何言ってんだ。おまえを知らないのに、おまえの母ちゃんを知るわけないだろ、と思ったが、もちろん口には出さない。「あなたはマスコミが垂れ流す情報だけを材料に、間違った母のイメージを作り上げている」。えーっ!まさか圭って、あのやんごとなきお方の婚約者なの?

かあさんはごく普通です。にいさんもそうです。かあさんとふうふだったとうさんは変わっていると言われれば、そうかも知れませんが、それでも正常の範囲内です。異常なのはねえさんです」。キター!「独占スクープ、問題は母親の金銭トラブルではなかった。婚約者の姉はサイコパス!!」そんな週刊誌の見出しが思い浮かんだ。しかし話の続きを聞くと真実は意外なものであった。

文化庁が定めた『 現代仮名遣い』の原則によれば、まずア列・イ列・ウ列の長音は、それぞれ、を添えて表記するとしています。だから例えばの長音はそれぞれ、かあにいふうと表記されます。するとオ列の長音表記は「お」を添えることになるはずですが、ご承知の通り、そうではありません。オ列の長音に添えられるのは「う」です。だから例えばの長音はとうと表記されるわけです。なぜ「とお」じゃだめなのか、そこには色々と大人の事情というものがありまして、ここではこの点について深入りはしません。ただア列・イ列・ウ列の長音とは、ちょって違っていることは認めますが、しかし文化庁が定めた原則に従っているという点では正常の範囲内と言えるでしょう。異常なのはエ列の長音です。エ列の長音はア列・イ列・ウ列のそれと変わらず、原則としてを添えて表記します。ただ異常なのは、この原則に従う語が「ねえさん」と「ええ」の二つしか存在しないという点です。もしエ列の仮名が「ね」と「え」しか存在しないならば問題ないのですが、もちろそんなことはありません。そこで文化庁は『次のような語は(中略)エ列の仮名に「い」を添えて書く』という特例を設けているのですが、異常なのは、この『次のような語』が無数に存在することです。原則に従う語がたった二つしか存在しないのに、です。英・径・性・底・寧・塀・姪・霊、これらの語すべてを文化庁は、エ列の長音なのか、そうでないのか(エ列の仮名と「い」で構成される語なのか)を問題にせず、とりあえずで終わらることで問題をなかったことにしています。

「そういうわけで、わたくし、圭が『けい』なのは、文化庁の陰謀によるものであり、本当は『けえ』なのかも知れません。もしそうだとしたら、自分は京阪に乗る『おけえはん』だと強く主張したいと思います。以上、ご清聴ありがとうございました……圭でした」。

 

「お客さん、お客さん」という声で、私は目を覚ました。「圭はどこへ行った?」と問う私に「何、寝ぼけてんですか。はやく降りてください。終点です」と車掌は言う。どうやら圭の話がつまらな過ぎて途中で寝てしまったらしい。彼は最後に「小室圭でした」と言ったような気がするのだが、どうせ法螺だろう。

ホームに降りると、私より先に降りた乗客が改札に向かって歩いている。その中に圭らしき人物を認めたので、追いかけて話しかけた。「すいません、あなた、私と同じ車両に乗っていませんでしたか?」「ええ、そうですが、よく覚えていますね。発車寸前に駆け込み乗車してきたかと思うや、そのまますぐに爆睡したのに。わたしはあなたのことをよく覚えていますよ。何せ寝言がすごかった、『ほらあ、ほらあ』って」

夢オチですが、何か?

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