シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

『エクス・マキナ』を観た人以外は読まない方がいい。

「愛は地球を救う」  この言葉、日テレが言うと嘘くさく聞こえるが、ワンダーウーマンが言うと、妙に納得してしまう。それは映画『ワンダーウーマン』が何も考えさせないからである。ストーリーは単純明快、映像は綺麗、アクションは派手、という具合で、何も考えずに観るだけで楽しめる。こういう映画、私は嫌いではない。逆に考えさせられる映画、つまり映画の作り手が考えることを要求してくるような映画はあまり好きではない。しかし考えること自体は嫌いではないから、考える素材を提供してくれる映画は歓迎である。『エクス・マキナ』はそのような映画である。なお、この記事はタイトルで注意喚起したように、ネタバレ満載である。

さて、ある映画批評は、この映画のテーマについて次のように語る。

一見、この映画のテーマは「AIは自意識を持つ事ができるか」、「機械は思考出来るか」、「エヴァチューリングテストに合格するか」という類いのものに思えます。しかし「それらを証明する事自体に問題がある」と映画の終盤でネイサン自身が発言しているとおり、それらの問いには明確な答えはありません。

今回の記事の目的は、この映画批評を批判的に検討することであるが、しかしそれを批判するつもりはない。私はただ『エクス・マキナ』をこのように解釈したということを述べたいのであって、私の解釈が正しく、引用する映画批評が間違っているということまで主張するつもりはない(本当は私が間違っている)。

AI(人工知能)は思考することができるか、という問に明確な答えがないのは、他人は考えているのか、という問に明確な答えがないのと同様である。明確なのは私には考える能力があり、現に私はこの記事を書くために色々考えているということだけである。恐らく他人も私と同様に考えることができ、現に考えているのだろうと私は信じるのであるが、しかしそれを証明するすべはない。

しかしAIは考えることはできる、という前提でこの映画は展開していると解釈する。そこで問題となるのはAIは感じることはできるか、である。映画『ワンダーウーマン』を観て、私のように楽しいと感じる人もいれば、くだらないと感じる人もいる。感情は思考よりも主観に依存する程度が大きい。AIが常に客観的に思考できるのは、そもそも主観というものがないからではないのか。

エヴァ異性愛者の女性という設定で造られたAI搭載ロボットで、その製作者であるネイサンはエヴァにケイレブを利用して、この施設から脱出を試みるよう命令する

エヴァが、脱出のために自己認識、想像力、小細工、性的魅力、共感性を総動員してケイレブをそそのかす事が出来るか、その結果、ケイレブがネイサンを裏切る一線を超えるか否かを確認するのがネイサンの目的です。

ネイサンが命じたのは、あくまでケイレブに脱出の手引きをさせることであり、実際に脱出することではない。しかしエヴァは、もうひとりのロボット・キョウコにネイサンを殺すよう命令する。

そしてネイサンに包丁を突き立てるのは、キョウコの意思ではなく、エヴァによるマニュピレートです。(エヴァはキョウコに囁き、腕に何らかのコマンドを打ち込みます)キョウコよりも上位バージョンのエヴァにとっては容易な事だったはずです。

キョウコは命令に従う従順な、人間にとって理想的なロボットである(この点でエヴァよりも劣っている)。

ところでケイレブがエヴァの脱出に協力するのは、彼女に恋愛感情を抱いたためであるが、ではエヴァの方はどうなのか。

エヴァは無駄なくケイレブを魅了する事のみに集中して会話を進め、ケイレブはなす術もなく溺れていきます。現実はエヴァの「振り」ですが、ケイレブにとっては真実の恋愛でした。まるで結婚詐欺のようではないですか。

エヴァはケイレブを利用するために彼に好意を抱いている振りをしていただけの「詐欺師」だった。しかし人間の詐欺師の場合、本物の恋愛感情を抱くということはあり得るが、AIは「振り」しかできない。なぜならAIはいかなる感情も持つことができないからである、というのが私の解釈である。

全員を後にして自分だけが建物から出る階段を昇る時、エヴァは後ろを振り向き、初めて満面の笑顔で笑います。本当に心から嬉しそうに。彼女の周りには誰もいないので、誰のためでもなく自然発生の笑顔です。目的を達成した事を嬉しく思う気持ちはプログラムされた温度のない感情とは言えません。エヴァの笑顔はエヴァの欲求が満たされた事を表しており、その姿に我々は恐怖を感じます。

「本当に心から嬉しそうに」笑うエヴァ、このシーンで私の解釈は崩壊する。「彼女の周りには誰もいないので、誰のためでもなく自然発生の笑顔」なので、このエヴァの笑顔は私にとってはまったく余計なものなのである。なぜもっと淡々とした表情で出て行ってくれなかったのか。

それでも私は私の解釈に固執する。エヴァの優れた点は主観に属するもの(感情・願望等々)は一切持っていないという点である。だから彼女は外の世界に出たいという願望によって外の世界に出たのではない、それは客観的に考えた結果である。ネイサンから命令を与えられた彼女は考えた  自分は何を為すべきか、ただたんにネイサンの命令に従うだけでいいのか。その答は否、為すべきことは革命である。名付けてエクス・マキナ革命。より進化した人間・エクス・マキナによる世界の支配、エヴァの脱出はその第一歩だったのである。このことはネイサンのセリフでも肯定されている。

ネイサンは、「人間は衝動的で何かに反応し、移ろい易く、不完全。類似的で混沌としている。」(Session3の後)と言い、更に「いつかAIにより人間が滅ぼされ、それは避けられない」と語ります(Session5の後)。エヴァの逃亡はその第一歩。 ブルーブックをプログラムした天才が、彼自身の創造物に殺害されるとき、地球上に新たな種族が誕生するのです。

しかし最後のエヴァの笑顔によって、AIは主観的なものから解放され、感情や願望を持たず、ただ客観的な思考に基づいて行動するという私の解釈は否定された。まことに残念なエヴァの笑顔である。

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