シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。

この漢文は孔子の論語 里仁第四の九 悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず | ちょんまげ英語日誌からの引用である。

子曰わく、士、道に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らず。

 と読む(らしい)。で、現代語に訳すと

孔子がおっしゃいました、
「学問の道を志しながら粗末な衣服や食事に甘んじる事を恥じる様な人間は、学問を語り合うのに値しない。」

となる(らしい)。で、英語に訳すと......いや、これ以上引用することはやめよう。引用の必然性が無いからである。「粗末な衣服や食事に甘んじる事」とは要するに貧乏である事だろう。

日本語に「清貧」という言葉がある。「富を求めず、正しいおこないをしていて貧しいこと」という意味である(らしい)。私の場合「富を求めても得られず、特段、正しいことをするでもなく、ただ貧しいだけ」という状態にあるのだか、これを何というのだろうか(濁貧か?)。 いずれにせよ私が「粗末な衣服や食事に甘んじ」ていることは間違いない。では私はそのことを恥じているのだろうか。微妙である。恥じていないと言えば、嘘になるが、かといって、それほど気にしていないのも事実である(要は貧乏生活に慣れたということか)。

さて、ここで気乗りはしないが、武田教授にご登場いただくことにする。彼のご両親は不肖の息子に次のように諭したそうである。

母は「貧乏は恥ずかしくないのよ」と言い、父は「金持ちにろくな奴はいない」と教えてくれた。だから、私も貧乏を恥じることなく、お金持ちをうらやむことなく人生を送ってきた。

貧乏は恥ずかしいことではないのよ・・・ : 武田邦彦 (中部大学)

武田教授は「貧乏を恥じることなく」生きてきたという。ということは、この記事が書かれた平成21年当時、武田教授も貧乏だったのだろうか。いや、旭化成工業(東証一部上場企業やんけ)、ウラン濃縮研究所長(知らん)、芝浦工業大学工学部教授(知らん)、 名古屋大学大学院教授(旧帝大やんけ)、中部大学大学院工学研究科総合工学研究所教授(知らん)という経歴からして、到底、貧乏だとは考えられない。むしろ貧乏でないから「貧乏を恥じることなく」、金持ちだから「お金持ちをうらやむことなく人生を送ってきた」のだ、そうに違いない。「金持ちにろくな奴はいない」という武田教授の父の言葉は、将来のわが子のことを見事に予言していたといえる。

ところでトンデモ系の武田教授のことを書いている途中でとんでもないことに気が付いた。「武田邦彦」から「田」の字を抜く(これを専門用語で「タヌキ」という)と「武邦彦」になるではないか。若い人は知らないかもしれないが(こんな言い方をすると当方が「早くこの世から退場した方が世のためになる、役に立たない老人」のように思われるかもしれないが)武邦彦は、中央競馬で現在活躍中の武豊幸四郎両騎手のご尊父であり、ご本人も名騎手として知られていた。今年の8月に御逝去されたそうである。ところで「武田邦彦」からタヌキすると「武邦彦」になるのは、魚をチヌキすると生臭くなくなるのと同じ理由によるものだろうか。

話が逸れた。本題に戻ろう(ただし、この記事に本題というものがあればの話であるが)。「(逃げるは恥だが)貧乏は恥じではない」と頭でわかっていても、心が恥ずかしいと感じてしまうのはどうしようもない。人は、なぜ貧乏である事を恥ずかしいと感じるのか? だが、それはこの記事のテーマから外れるので、ここでは論じない(この記事のテーマって何なんだ?)。

要するに孔子は学者に学者としての「清貧」を求めているのである。学者は真理だけを求め、正しい研究をおこない、そして貧しくあるべきだ、そう主張しているのである。え、そうなの? 真理と富、このふたつを同時に求めてはいけないの? 

昨今、研究費が足りないと嘆く学者が多いと聞く。そんな学者に向かって、孔子は言うのである。私財を投げ打って研究費に当てろ、と。貯金、株式、マイホーム、ヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪、そんなものは学者に必要ない。学者に必要なのは真理だけだ。

しかし、そんな学者、おらんやろ、と思うあなたは、まだまだ世間知らずだと言わざるをえない。いるのである、そんな学者が。その人の名はルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン。彼は大富豪の家で生まれ育った。彼の父は、彼がまだ大学生のころ病死し、ウィトゲンシュタインは莫大な遺産を相続したが、後にその全財産を放棄した。そのため自著『論理哲学論考』を出版してくれる出版社を捜すのに苦労することになる。印刷代を自分で負担するなら出版すると申し出る出版社が現れたが、その印刷代が払えないのである。

ウィトゲンシュタインは哲学者である。哲学は最も研究費のかからない学問のひとつである。極端に言えば、自分の頭さえあれば、できる学問である。むしろ余分なもの(財産)を持つことが思索の邪魔になる、彼はそう考えて財産を放棄した、と何かの本で読んだことがあるような気がする。いずれにせよ、彼は貧乏が恥ずかしいとは微塵も感じていなかったと思う。ちょうど電車の中で堂々と化粧する女性が恥ずかしさを感じていないように〈下記の記事参照〉。何せウィトゲンシュタインは天才であると同時に、稀代の変人なのだから。ま、天才が変人であることは珍しいことではないが。

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論理哲学論考 (岩波文庫)