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シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

盗用~ハルコの場合~

【起】事件の概要

宝石店「珍宝堂」のショーケースに置かれていた宝石が盗まれたと店主のタヌキから警察に通報があった。タヌキは、その宝石は世界にひとつしかない貴重なもので、絶対に取り戻してほしいと訴えた。しかし、そんな高価な宝石であるにもかかわらず、ショーケースには鍵が掛けられておらず、盗むのは容易であったことに捜査員は疑問を抱いた。ちなみに捜査員が「セコムしてますか?」と尋ねたが、テレビを観ないタヌキには、その質問の意味が通じなかったという。

警察が盗難事件として捜査に乗り出したところ、盗まれた宝石がブティック「STAP」のショーウィンドウに飾られているとの情報を得た。捜査員はさっそく「STAP」を訪れ、店主ハルコに事情を聴いた。するとハルコはあっさりと、その宝石は自分が盗んだと罪を認めた。そこで捜査員は、その場でハルコを逮捕し、警察署へ連行した。

だが捜査員は不可解に思った。盗品というものは闇のルートで捌くのが常識である。なのにハルコはそうせずに、盗品である宝石を堂々とショーウィンドウに飾った。なぜか?

【承】ハルコの自白

言っておくけど、私は盗んだんじゃない、ただ無断で一時的に借用しただけよ。わたしの店ではショーウィンドウ全体がひとつの作品なんです。たまたま「珍宝堂」の前を通りかかったとき、あの宝石が目に留まりました。素晴らしい宝石でした。そして直感しました。今回の作品を仕上げるためには、あの宝石が絶対必要なんだと。そこですぐに譲ってほしいとタヌキさんに頼みました。でも、あれは売りものではないと断られました。ただ、売ることはできないが、貸す分には問題ないと仰いました。ええ、賃貸料などは要求されませんでした。ただ貸出の条件として、とんでもない要求が出されました。なんとタヌキさんはその宝石の横に「この宝石(非売品)は『珍宝堂』よりお借りしました」と表示し、さらに「珍宝堂」の住所・電話番号を併記するように要求したのです。それは絶対に飲める条件ではありませんでした。そんなことをすれば、わたしの作品は台無しです。だからわたしの作品を完成させるには無断で借りるしかなかったんです。もちろんショーウィンドウの展示が終われば宝石はタヌキさんにお返しするつもりでした。だからわたしは悪いことをしたわけではないんです。悪いのは、むしろタヌキさんの方です。

タヌキさんは強欲です。そうでしょう、わたしにはあの宝石は売り物ではないと言いながら、ちゃっかり、それが自分の所有物だということを表示することを要求するんですから。きっとタヌキさんは売る気満々で、わたしに宝石の貸し出しの話を持ちかけたんだと思います。自分で言うのもなんですが、わたしの店はセレブご用達です。お金持ちというのは、それが買えないとなると、余計に欲しくなるものです。きっとタヌキさんは、そのことを見越して「お金ならいくらでも出すから譲ってくれ」と、お金持ちが続々と申し出てくることを期待したんだと思います。そして、その中で一番高値を付けた人に売りつけるつもりだった、そうに違いない、絶対そうだわ、あのタヌキジジイ。ねぇ、刑事さん。あんな役に立たない老人は早くこの世から退場した方が世のためになるのではないでしょうかね

【転】タヌキの証言

へぇ、「ショーウィンドウ全体がひとつの作品」ですか。わたしらのように無粋な人間にはわからん世界ですな。ええ、ハルコさんの言っていることは、だいたい事実です。ただひとつ、彼女は大きな誤解をしています。わたしは本当にあの宝石を売るつもりはなかったんです。確かにわたしは、あの宝石を「世界にひとつしかない貴重なもの」と言いましたが、決して「高価」だとは言ってません。実は、あの宝石は死んだ女房の形見なんです。女房の思い出が詰まっている宝石だから売れないんです。女房は生前、何度も、あの宝石をわたしに見せて「すてきでしょ」と自慢していました。わたしも宝石商の端くれですから、それが、そんなに高価なものでないことはわかっていました。もちろん女房には、そのことは言いませんでしたが。

女房が死んだ後、彼女の自慢の宝石なんだから、できるだけ多くの人に見てもらいたいと思って、ショーケースの中に置くことにしたのです。女房もそれを望んでいると思って。すると、お客さんの中には売り物だと思って値段を尋ねてくる人もいます。でも売り物ではないとお断りするんですが、恥ずかしくて理由までは言いません。

ねぇ、刑事さん、わたし、強欲に見えます? 実際もう、この年になると、何も欲しい物はないんですがねぇ。あの宝石が、わたしからの借りものであることを表示してほしいとお願いしたのは、確かにハルコさんの店に来たお客さんに、わたしの店にも寄ってもらいたいからです。でも、それは宝石を買ってもらいたいからではありません。あの宝石だけでなく、この店にある他の宝石も見てほしい、そして宝石について話がしたいからです。ハルコさんのお店のお客さんは若い女性が多いらしいじゃないですか。こんな年金暮らしのジジイが若い女性と話し合える機会なんて、そうそうあるもんじゃないですから。

そういえば、以前こんなことがありました。あの宝石を買いたいと言ったお客さんに、わたしは売る気もないのに意地悪をして、いくらで買いますかと尋ねたんです。その女性は驚くべき高額を提示しました。わたしは思わず笑ってしまい、「あなたの目は節穴ですか」と言っちゃいました。ええ、女の人はすごく怒りましたね。で、その女性は何を勘違いしたのか、「あんたの言い値で買うから」「いくら払えば譲ってもらえるの?」とわたしに詰め寄るんです。わたしといえば、店にある別の宝石を例にとって、その宝石が、なぜこの価格なのか、理路整然と説明したわけです。すると怒っていたお客さんも、わたしの説明に対して質問したりして、最後には「なるほど、あの宝石にはそれほど価値はないのね」と納得し、勉強になりましたとお礼を言って帰っていきました。そんな愉快なひとときを過ごしたくてハルコさんに例のお願いをしたのですが、ハルコさんには彼女の事情があったのですね。

でも、どんな事情があろうと、他人のものを盗んで、自分の作品の一部として用いることは許されないことです。ハルコさんも今回の件でそのことを理解してくれればいいんですが。

【結】私の主張

これまで不正な無断転載を「剽窃」と呼んできたが、ここでは、それを「盗用」と呼ぶことにする。

 

人は、なぜ盗用するのか? 引用という形式をとれば無断転載は正当化されるにもかかわらず。確かに詩や小説などの文芸作品においては引用という形式はそぐわない。たとえばこんな感じ。

......駆け落ちした太郎と花子を乗せた列車はトンネルにさしかかった。そして「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」(川端康成『雪国』〇〇出版/10頁)ので、花子はくしゃみをした。......

これでは小説が台無しである。だから文芸作品では他人の創作を転載することなく、すべてを自身の手で創作するしかない。しかし学術論文はそうではない。過去の学術的成果を自分自身の研究の糧とすることは新たな成果を生むために必要なことである。

 

盗用は宝石を盗むのとは違って、著者が「事件」に気付かない場合が多い。また、宝石なら例えば「セコム」のように盗難を防ぐこ手立てはあるが、盗用を防ぐ手立てはない。逆に言えば盗用は誰にでも容易にできるということである。しかし盗んだ宝石をショーウィンドウに飾るのと同様、盗んだ文章は(自分の著作物の一部としして)公開する(そのために盗む)のであるから、常に誰かに気付かれるリスクは避けられない。

 

盗用するのは、盗用が悪いことだとは思っていないからだろうか。確かに盗用が違法であることを知らないという人は多いと思う。でも、他人の著作物の一部を著者に無断で自分の著作物に取り入れて、その著作物のすべてが自分の創作の成果だと世間に向かって公表することに、何のうしろめたさも感じない人などいるだろうか。

学術論文における盗用は善悪・違法合法を問題にする以前に、研究活動におけるルール違反(研究不正)である。このルールは研究活動に従事する人々が決めたものであり、部外者が異議を唱えてもしかたがない。そしてルールに違犯した研究者は、信用を失い、さらにはペナルティが科せられる。最悪、職を失うことにもなりかねない。そのようなリスクを負ってまで盗用する人の気が知れない。

 

学術的観点からすると、引用の条件で一番重要なのは出典の明示であると思う。自然科学の分野ではそういうことは少ないかもしれないが、引用文が引用者によって誤解されて引用されている、という可能性がある。

引用は必要最低限の範囲で行う。ある引用文が必要だと考えるのは引用者である。しかし、読み手にとっては、それでは十分ではない場合がある。その場合、読み手は原典に当たり、その引用文の前後の文を読むことができる。その結果、読み手は、当該引用文について引用者とは違った理解に至るかもしれない。

giveme5.hateblo.jp

私は上記の記事で、クリピキの引用が意図的な「誤解」に基づくものだと指摘した。彼は「われわれのパラドクスは、ある規則がいかなる行動のしかたも決定できないであろうということ、なぜなら、どのような行動のしかたもその規則と一致させることができるから、ということであった」というウィトゲンシュタインの言葉を引用しつつ、あえて、それに続く一文「ここに誤解があるということは、われわれがこのような思考過程の中で解釈に継ぐ解釈をおこなっているという事のうちに、すでに示されている」を引用しなかった(この引用文の出典については上記の記事で明示したので、ここでは割愛する)。

引用者は自分自身が必要だと考える部分、別の言い方をすれば自分にとって都合のいい部分だけを引用する。だが学術論文は批判的に読まれるべきである。そのための方法のひとつとして「原典に当たる」がある。

宝石を一時的に借用した者にその宝石の価値を尋ねても、本当のことはわからない。本当のことが知りたければ、その所有者に当たるべきである。