シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

そこに愛はあるか? ~「UNAKO」がダメな理由~

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私は上記の記事では、志布志市が公開した動画「UNAKO」を「女性差別」だと批判する意見を批判した。だが私もまた、この動画を観て、不愉快な思いをした。はっきり言って、この動画はダメである。今回は、その理由について語ろう。

志布志市の担当者は動画制作の意図について次のように語る。

今回の動画制作の意図につきましては、志布志天然水でうなぎを大切に育てていること、栄養や休息を十分に与えてストレスのかからない環境で大切に育てていることをお伝えしたかったものです。

鹿児島県志布志市 ふるさと納税PR動画「UNAKO」配信停止のお知らせとお詫びについて | 志布志市ポータルサイト

そこでは「大切に育てている」ということばが2回繰り返されている。動画では少女が登場したのちに、「その日から、彼女との不思議な暮らしが始まった」と若い男性のナレーションが入る。観る者は当然、その少女と若い男性の「不思議な暮らし」には愛(恋愛感情)があると思いこんでしまう。

だが結末では少女=鰻であることが明らかにされ、男性=養殖業者であることがわかる。何のことはない、営利目的で「大切に育てている」だけではないか。そこには愛など微塵もない。強いて言うならば、お客様に「美味しく食べていただく」というサービス精神はある。だが、そのことが私を不愉快にさせる。

私たちは鰻の命を犠牲にすることによって、鰻を味わっているのだ。だが、そんなことは、この動画を観る前からわかっていたことではないか。もちろん、その通りである。

人間にとって食事とは、たんに食欲を満たすだけの行為ではない。性欲を満たす行為は動物的快楽をもたらすだけであるが、食事は人間的快楽をももたらす。食事は文化である。食事を楽しむ人々は、それが他の動物の犠牲の上に成り立っていることを忘れている。人間の命は地球より重いが、人間以外の動物の命は、私のブログの存在意義よりも軽いのか。もちろん、その通りである。

少女と鰻、どちらも命あるものである。だが前者は大切に育てられ、後者は腹を裂かれ、串刺しにされ、蒲焼きにされる。人間とは、何とエゴイスティックな生き物なのだろうか。そんな当たり前のこと、しかし、誰もが認めたくないことを、「UNAKO」はこれ見よがしに突きつけているのだ。

もちろん、それは製作者の意図ではないことは承知している。製作者の意図は鰻を「大切に育てていることをお伝えしたかった」だけである。しかし、大切に育てられた鰻は、動画にあるように大切に料理されるのである。だから鰻の立場からすれば「養って」などという言葉は絶対に出ないはずである。人間の傲慢さを曝していることに気付かない無神経さが私を不愉快にさせる。

この動画は、やはりダメである。

 

この映画はいいかもしれない。

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