シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

映画『完全なる養殖』が上映中止に!!

giveme5.hateblo.jp

平成28年9月21日に公開いたしました、鹿児島県志布志市ふるさと納税PR動画「UNAKO」につきまして、動画公開後に視聴者の皆様に不愉快な思いをさせてしまいましたことをお詫び申し上げ、平成28年9月26日(月)16:10をもちまして動画の配信を停止させていただきました。

鹿児島県志布志市 ふるさと納税PR動画「UNAKO」配信停止のお知らせとお詫びについて | 志布志市ポータルサイト

というわけで千田有紀さんの予想は見事、的中。

志布志市ふるさと納税推進室がネット上にアップした納税PR動画が話題である。「女性差別的だ」と批判が殺到しているようなので、早晩削除を余儀なくされるのではないか。

志布志市のふるさと納税PR動画が、美少女飼育ポルノに見えるのは誤解なのか(千田有紀) - 個人 - Yahoo!ニュース(以下、引用元が記載されていない引用はすべてこの記事からの引用であり、また強調は引用者によるものである)

しかし、この動画が「女性差別的だ」と批判される点については、私は納得できない。

スクール水着は、学校教育の場以外で着用されることはほとんどない。本来であったら性的な意味が、極力排除されているはずだ。ところがこの水着が性的な意味を持たされてしまっていることは、「暗黙の了解」でもある。

 千田さんは社会学の専門家であるから、社会におけるあらゆる「暗黙の了解」について知識を有しておられるのであろう。専門家でない人間でスクール水着が「性的な意味を持たされてしまっていること」を知っているのは、私のような意識エロい系の人間である。

小中高校生の年代の女性を起用しなかったのは、ロリータポルノとの批判をかわすためなのだろうか。

そうだと思う。つまり製作者も、この動画には、ちょっとだけだけど、エロい要素が含まれていることは意識していた。

女性の無邪気さとは対照的に、「これって、女性を飼育するってこと?」という当惑が広がる。飼育もまた性的な文脈があり、監禁事件などの犯罪もよく起こっているために、さらに不安が募る。

「飼育」に「性的な文脈があ」ることまで、製作者が意識していたかどうかは、わからないが、意識エロい系の私はこの動画を観終わって、直ちに映画『完全なる飼育』を連想した。ただし当該動画には「飼育」という言葉は登場しない。逆に千田さんは、私と同様「男性」「少女」「養う」、この三つのキーワードから映画『完全なる飼育』を連想し、「性的な文脈」があると考えたのではないか。

「彼女は去っていった。その美しい人の名は、うな子。志布志市の豊かな自然で育ちました」。背景はウナギのかば焼き。「実は人間じゃなくて、ウナギだったんですよ」という種明かし。
この種明かしによって、「ウナギだから、プールで飼育しても変じゃないでしょう? ペットボトルが粘性の液体で糸を引いていたのにも理由があるでしょう? 性的なポルノとしてみたかもしれないけれど、それはあなたの思い過ごしですよ。騙されちゃったでしょう?」というメッセージが伝えられてくる。しかし、「なーんだ、騙されちゃったよ、あはは」という気持ちには、とてもなれない。

しかしこの動画から「ペットボトルが粘性の液体で糸を引いていたのにも理由があるでしょう? 性的なポルノとしてみたかもしれないけれど、それはあなたの思い過ごしですよ。騙されちゃったでしょう?」というメッセージを読み取るのは深読みのし過ぎだと思う。 もしそうなら「ペットボトルが粘性の液体(ローション)で糸を引いていた」そのペットボトルとは、男性器のメタファーということになるのだが。実際、そのように解釈した人もいる。

どう考えても、少女がローションか精液まみれのちんこを握る暗喩だろ、これ。

『うな子』が削除された記念に一番ドン引きしたシーンを貼ってみる - Misandry Blog

意識エロい系の私もそのように解釈することは可能であるとは思った。しかし、である。さすがに自治体の宣伝でそこまではやらないでしょう、常識で考えて。ただたんに鰻=「ぬるぬる」という発想から出たシーンだと解釈する。つまりこのシーンは結末(少女=鰻)に対するヒントにしようという意図から作られたものと解釈するのが妥当だと思う。

だから

「彼女の触れる水は、天然の地下水だけにした」「いつものびのびと過ごせるようにし、おいしいものをおなか一杯食べさせ、ぐっすりと眠れるようにした」というナレーション

は言い訳でもなんでもない。「彼女の触れる水は、天然の地下水だけにした」もまた鰻の養殖につながるヒントであり、その言葉通りに素直に受け取ればいい。千田さんのようにこの動画を「性的なポルノとして」観るから、「言い訳のように」聞こえるのである。

なぜならこの映像は、水着を着させて無邪気な風を装ったティーンエイジャーを、性的な目で眺めて消費する文化の存在を、如実に明らかにしてしまっているからである。

私も児童ポルノには嫌悪感を覚える。 しかし第二次性徴期を終えた女性(その中にはティーンエイジャーも含まれる)を「性的な目で眺めて消費する文化」については否定しない。古来より女性のヌードは絵画や彫刻等の芸術作品の重要なテーマである。そして、それらの作者や鑑賞者がその対象を「性的な目で眺めて」いないと言い切れるのか、私には自信がない。

女性の身体はエロい、と同時に美しい。このエロさと美しさは不可分であると私は思料するのだが、美しいとされる場合は女性差別ではなく、エロいとされると女性差別になるのは、なんだかなぁである。

この動画はさすがにまずいというチェック機能が、どこかで働かなかったのだろうかとも思う。

この動画の製作者を含め、チェックした人の中には意識エロい系の人はいなかったのではないか。そして、そのことが今回の悲劇をもたらしたと思う。

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