シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

「センテンススプリング」に叩かれたもうひとりの若くて美しい女性研究者、鈴木涼美の研究

1983年9月25日、 千葉県に生まれる。早稲田大学理工学部応用化学科を卒業、早稲田大学大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程を修了する。2013年から2014年まで、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターに勤める。
2014年、「週刊文春」で取り上げられる。
2016年、著書を出版する。

以上、小保方晴子の経歴である。今さら、彼女の経歴を披露したのは、鈴木涼美(すずき すずみ)の経歴と比較するためである。彼女の経歴は以下のとおりである。

1983年7月13日、東京都に生まれる。慶應義塾大学環境情報学部を卒業、東京大学大学院学際情報学府を修了する。2009年から2014年まで、日本経済新聞社に勤める。
2014年、「週刊文春」で取り上げられる。
2013年、著書を出版する。

似ている。余りにも似ている。だから私は、小保方を比較対照として鈴木の分析を行うことにした。
まず鈴木の上記経歴には、小保方の経歴がそうであるように、重要事項が記載されていない。当然のことながら、彼女もまた小保方がそうであるように、あることをしたために「文春」が取り上げたのである。

週刊誌に取り上げられたことについて鈴木は次のように語る。

「気にしてます」「私は悲しかったです」「つらかったです」とか言う方が勇気がいります。気にしてないフリする方が楽。「週刊誌ってクソだよね」って言うことはできるけれど、それでへこたれてるって思われるのは怖いから、ある程度自分を被害者化しないで、しれっといたいなと思って。強くないですよ私は。

http://wotopi.jp/archives/13656

ものすごく自分を被害者化している小保方とは対照的である。
「気にしないフリ」をしたということは、本音は「つらかった」ということである。鈴木のしたことは、小保方がそうであるように犯罪ではない、さらに言えば、小保方と違って不正でもない。しかし世間に知られると恥ずかしいことではある。もちろん何ら恥じることではないという人もいるであろう。だがそのように言う人は実際に鈴木と同じことができるのか(この論点は後にもう一度、論じることにする)。

でもあの記事は結局、「週刊誌ってくだらないよね」みたいな話になったが故に、読者は私を、婉曲的にというか間接的に援護してくれて、それは心強いことではありました。「鈴木涼美けしからん」みたいなことを言って、週刊誌的おやじ価値観に自分が侵されてるって思われたくないみたいな意識もあるんじゃないですかね。

http://wotopi.jp/archives/13656

実際、「週刊誌的おやじ価値観に自分が侵されてるって思われたくない」人のひとり、経済学者の池田信夫は文春の小保方の記事について次のようにコメントしている。

週刊文春STAP細胞の疑惑にはほとんどふれないで、男女関係のゲスの勘ぐりばかり。オヤジの関心は、そこしかないのか

全文表示 | 小保方氏の過激バッシング報道続々 文春「乱倫な研究室」新潮「捏造にリーチ!」 : J-CASTニュース

私は「週刊誌的おやじ価値観」などに侵されてはいない。だから他人に「週刊誌的おやじ価値観」に侵されていると思われたとしても全然、平気なのである。私にとってはSTAP細胞の疑惑も男女関係の疑惑も、好奇心の対象としては等価である。好奇心そのものに「知的」なものと「痴的」なものの区別などない。あるのは好奇心を抱く対象の区別である。STAP細胞(「知的」なもの)には興味はあるが、男女関係(痴的」なもの)には興味がないという人、あるいは、その逆の人がいるであろう。だが好奇心が旺盛な私は両方に興味がある。
話がそれた。
そろそろ重要事項の説明に移ることにする。さて一体、鈴木涼美という女性は何をしでかしたのか。
彼女を取り上げた「文春」の記事の見出しは、こうである。
『元日本経済新聞記者はAV女優だった!(後略)
この見出し自体がAVのタイトルみたいで笑える(『元日本経済新聞記者がAVデビュー!』みたいな)。彼女がしたこと、それはAV出演、すなわちカメラの前でのセックスである。

人のセックスを笑うな [DVD]

永作博美は実際にセックスをしているわけではない(と思う)が、鈴木は実際にしている(はずである)。

人間には羞恥心というものがある。人前でセックスするとき、誰でも恥ずかしいと感じるはずである。しかし最初の頃は恥ずかしさを感じても、慣れてくるとその感情は消滅する。しかし体を売って金を得ることに対する罪悪感は消えない。ただ感情というものは不条理なもので、罪悪感は、もちろん人を苦しめるのであるが、しかし同時に快楽をもたらすこともある。人に快楽をもたらす罪悪感、それは背徳感と呼ばれる。夫婦仲が円満な人が不倫に走るのは背徳感を味わいたいからではないか。鈴木はAVに出演した動機も背徳感である。

ポルノの背徳感に、なんとなく憧れがあったんです。昔の日活のポルノ女優さんって、昼の舞台に出ている女優さんに比べて退廃的な魅力があって、なんかかっこいいなと。

ポルノの背徳感に憧れ元AV嬢という人生【1】 -対談:社会学者 鈴木涼美×田原総一朗 田原総一朗の「次代への遺言」:PRESIDENT Online - プレジデント

だから、彼女は背徳感に憧れないような人には援護されたくなかった。

で、私からすると、「昔ながらの価値観でくだらない記事を書いて、けしからん。AV女優の何が悪い」という声のほうが、むしろ気持ち悪かった。だって、私を援護したいというより、しょうもない見出しを打ってきた週刊誌に対して、「NO」という意見を突きつけることで、「自分はわりとクオリティー人間だ」と、その人たちは言いたいわけでしょう。だから、私は手放しで援護されるような人間ではないということを、どこかできちんと主張しておかなければと思いました。そうしないと、私のことを別に何とも思っていない人から守られ続けちゃう。それは嫌だなと思ったから、「リテラ」に寄稿したんです。

「“AV女優の何が悪い!”という声のほうが気持ち悪かった」社会学者・鈴木涼美インタビュー(前編) | ダ・ヴィンチニュース

「『AV女優の何が悪い』という声」は「週刊誌的おやじ価値観に自分が侵されてるって思われたくないみたいな意識」から発せられていることを、彼女は見抜いている。そういう「クオリティー人間」(例えば「小保方晴子さんへの不正な報道を追及する有志の会」や「がんばれ、小保方晴子先生!」のメンバー)は決してAVに出演したりはしないだろう。
元博士の小保方はSTAP論文執筆の際に「一片の邪心もありませんでした」との認識を示し、自分の擁護者に感謝しているが、元AV女優の鈴木は「私は手放しで援護されるような人間ではない」と認識している。しかしそれは自分が元AV女優であるからではない。研究者(修士)として「正しかったという確信」がもてないでいるからである。

「リテラ」に寄稿した一文において鈴木は自らの「研究不正」について次のように言及している。

鈴木涼美は『「AV女優」の社会学』の著者であり、同書は、わざわざ「東京大学大学院で執筆した修士論文をもとに加筆修正した」などともっともらしい但し書きまでついて、約2000円もする人文書である。問題は、著者である鈴木涼美は、「AV業界をうろうろしながら」と自らのAV出演の経験を留保して、本書を記していることである。
(中略)
AV出演の経験を持っていることは、AV業界の魅力や問題点を知るのに、圧倒的に有利だったのではないだろうか。その自分の優位性を1行目で告白しないことは、研究者倫理に照らし合わせてどうなのか、少なくとも書き手の姿勢としてどうなのか。読者への敬意に欠けるのではないだろうか。
(中略)
私は「AV女優が動機を語る動機」について扱う同書に、私のAV出演の動機を意図的に記さないことにした。それは間違った判断であっただろうか。考え続けてはいるが、現在のところ、正しかったという確信はもっていない。

ただし、今回の文春報道には、それ以上の論点がある、と私は思う|LITERA/リテラ

なぜ、彼女はAV出演の動機を意図的に隠蔽したのか、その動機はわからない。私はまだ『「AV女優」の社会学』を読んでいないのだから。

著書を読まずに著者を分析する私は、ひょっとして馬鹿なのか?

 (文中、敬称略)

「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか

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