シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

「あの日」の小保方晴子さん

あの日、小保方さんは何をしていた?

 「あの日」とはマウスが緑色に光った日のことである。つまりキメラマウス作成実験に成功した日のことである。この日、STAP細胞が万能性を有することが確実になった(と思われた)。小保方さんにとっても、若山さんにとっても忘れられない日のはずである(ただし、今となっては思い出すのも嫌な日かもしれないが)。

だが、小保方さんの手記『あの日』には、その日のことは何も記述されていない。一方、若山さんは、その日のことを鮮明に覚えているようで、次のように証言している。

  いつもと同じように、彼女と一緒に研究室でマウスのお腹を見て、ライトを当てて、また何にも変化が起きないんだろうな、と思っていた。わたしも失敗には慣れていますが、彼女は失敗する度、毎回強いショックを受けているのが痛いほど分かる。さあ、今日はどんな言葉で慰めようか、と思っていたら、光ったんですよ! 緑色に!!

梶原しげる:【294】「その時マウスは緑色に光った!」若山教授が語った幻のSTAP細胞誕生秘話 | BizCOLLEGE <日経BPnet>

この証言によれば、その日、小保方さんは若山さんと一緒に研究室にいて、緑色に光るマウスの胎児を確認したことになる。だが小保方さんは次のように語る。

  ある日いつも通りスフェアを渡すと、「これまではスフェアをバラバラの細胞にしてから初期胚に注入していたが、今日からはマイクロナイフで切って小さくした細胞塊を初期胚に注入してキメラマウスを作ることにした」とおっしゃった。それから10日後、若山先生からキメラマウスができたと連絡を受けた。(p91) 

あの日

その日、小保方さんが何をしていたのかは定かではないが、若山さんと「一緒に研究室でマウスのお腹を見て」いなかったことは確かである。

 

あきらめなかったのは誰?

この点でも小保方さんと若山さんの言い分は食い違う。若山さんの証言ではあきらめなかったのは小保方さんである。

  それに彼女は、失敗すればするほどさらに膨大な実験を積み重ね失敗の原因を突き詰め、次の作戦を持って来た。若い男性の研究者ならとっくにあきらめる。成果の出ない実験にいつまでもこだわっていると、次の就職先とか新しい研究テーマに乗り遅れる。時代に取り残される。研究者としての将来が危うくなるとあきらめるケースが多い 

そりゃあ、研究には機材、薬品、人件費など多くの経費がかかっているから研究機関に迷惑もかかる。いい加減にしたら?という<空気>を察知することだって必要だ。ところが彼女は<次は絶対いけますので、実験、御願いします!>。普通ではあり得ない熱意にほだされたのかなあ 

ところが『あの日』によれば、小保方さんは、あきらめていたのである。

 若山先生が計画表を作成してくださり、いよいよキメラマウス作成実験が本格的に始まった。しかし何度か試みていただいたものの、やはりES細胞から作成されるようなキメラマウスはできてこなかった。私はもうES細胞からのようなキメラマウスはできないというのも重要な結果の一つと捉え、分化した体細胞がストレスを受けるとOct4陽性の細胞塊ができるまでの変化過程を論文化しようと考えていた。(p90) 

だが若山さんは、小保方さんの「キメラマウスはできないというのも重要な結果」という考えとは裏腹に、あきらめなかった。

  何度か繰り返し実験を行ったが、やはりキメラマウスはできてこなかった。それにもかかわらず、若山先生はあきらめずに実験を繰り返してくださった。(p91) 

 

STAP研究で最大の「功労者」は誰?

小保方さんは次のように言う。

このように、後にSTAP細胞と名付けられる細胞の存在の証明が、キメラマウス作成の成功、もしくは増殖する細胞であるSTAP幹細胞への変化であるなら、「STAP細胞の作製の成功・存在の証明」は常に若山先生がいなければなしえないものになっていた。(p92) 

他方で若山さんは次のように語る。

  STAP細胞のアイデアを出したのは小保方さんです。万が一ノーベル賞を受賞するとすれば、まずは彼女。わたしは共同研究者。 

 ちなみに若山さんの証言は疑惑が発覚する以前の、まだSTAP細胞が世紀の大発見と賛美されていた時期のものである。

 

さて真実を歪めているのは誰?

あの日