AはXに有り
「敵は本能寺に有り」という名言(?)があるが、「AはXに有り」という文には色々な意味がある。そのひとつとして「AはXとして存在する」という意味もある。
「Xに有り」の助詞「に」と動詞「有り」が融合し、助動詞「なり」が誕生した。
「Xなり」は「Xである」という意味である。
その結果、「存在する」という意味をもつ動詞「有り」から、そのような(そしてどのような)意味をもたない補助動詞「あり」が誕生した。
AはXなり、Yにあらず
「Yにあらず」の「あら」は補助動詞「あり」の未然形である。
「あり」に意味が無いならば、「Yにあらず」の「に」に意味を与えなければならない。
そして、その意味は「なり」と同じでなければならない。
こうして、もともと助詞であった「に」は助動詞「なり」の連用形とされた。
AはXだが、BはYである
「だ」と「である」についても同じことが言える。両者の語源はひとつであるそうだ。
「である」は、「にてあり」の変化した形である。その点で、「にあり」の変形たる「なり」とほぼ同義の意味合いを有する。また、「とあり」の変形たる「たり」とも重なるところがあって、断定や様態を表す助動詞としては、極めて応用範囲の広い、都合のよい言葉といえる。
「だ」もまた、「にてあり」が変形してできたものと思われる。「にてあり」が「であり」となったり、「んだり」となったり、「であ」となったり、音便の相互作用の中から、「だ」という表現が定着していったのではないか。「だ」の異形として、「じゃ」や「や」があるが、これも同様の音便作用の中から、出てきたものと思われる。
「だ」は助動詞、「である」はその助動詞の連用形「で」と補助動詞「ある」から成るとされている。これも補助動詞「ある」に意味が無いから、「で」(それは助詞としても存在する。「家で待つ」「木槌で打つ」「雪で遅れる」等々)を助動詞「だ」の連用形と考えなければならのである。