「わたしって、変?」
「いや、全然変じゃない。ふつうに普通だよ」
「ふつうに普通って、どういう意味?」
「それは君の普通さが驚くほどではない、といった意味だよ」
「驚くほど普通な人っているの?」
「そりゃ、いるさ」
「それって、どんな人?」
「ものすごく普通で、その普通さが普通の人からは遠くかけ離れている人」
「それって、普通じゃないってことじゃないの?」
「たしかに、ものには限度があるって言うからな。すごく普通な、あまりにも普通な人は、もはや普通の普通を通り越して、普通でないという域に達しているのかもしれない」
「つまり、ふつうに普通なわたしは普通の域に留まっているってこと?」
「そういうこと」
「だったら、最初から普通に『普通だよ』って言ってくれればいいじゃない。なんで『ふつうに普通』なんて言い方するの?」
「それは君が、ただたんに普通ではないからさ」
「ただたんに普通でないって、どういう意味?」
「なんていうかな、君の普通さは、一種独特の、言葉では表現できないような普通さなんだよな」
「でも、あなたは『ふつうに』という言葉で私の普通さを表現したじゃない?」
「いや、そうじゃない。僕は君がいかに普通であるかを表現していない。その証拠に君は『ふつうに』とはどういう意味かと問いかけた」
「ということは『ふつうに』という言葉は表現できないものを表現するときに使うの?」
「普通はそうではない。ただ『ふつうに美味しい』とか『ふつうに良い』とか、何かを評価する言葉の頭に『ふつうに』を付けると、そういう意味になる」
「そういう意味って、どういう意味?」
「だからその意味を言葉で説明することはできないんだ」
「それって『ふつうに』に意味なんてないっていうことじゃない?」
「意味がないわけじゃない。ただ例えば『ふつうに美味しい』という場合、その『ふつうに』という言葉が、普通に『普通に』という言葉を使うのとは違った、一種独特な仕方で用いられているだけだ」
「でもウィトゲンシュタインはこう言っているわ。
言語(語、文章など)について語るとき、わたくしは日常の言語を語らなくてはならない。
『ふつうに』という語について語るとき、あなたは普通に語らなければならないのよ。でも、それができないからといって、あなたが悪いわけじゃないけど。ウィトゲンシュタインはこうも言っているから。
哲学の問題は、「わたしは途方にくれている」という形をとる。
ただ、あなたが自信満々で、全然、途方にくれていないのは問題ね」
「はっきり言っていいかな?」
「……?」
「君は普通じゃない」