読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

ミラー・マンと小保方さん、その「罪と罰」

郵便配達は二度ベルを鳴らす。

ミラー・マンは二度逮捕される。

今は昔の話である。一度目は駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとして、現行犯逮捕された。裁判では、ミラー・マンは無罪を主張したが、裁判官は判決でミラー・マンに罪ありとした。ただし、この罪に対する罰は、検察が懲役4か月を要求したのに対し、罰金50万円であった。

ミラー・マンは冤罪だと訴えたものの、控訴せず、甘んじて罰を受けた。

で、二度目は電車内で女子高生に痴漢をしたとして、やはり現行犯逮捕された。そして裁判では今度も無罪を主張したが、裁判官は今度もミラー・マンに罪ありとした。ただし、この罪に対する罰は、罰金ではすまなかった。臭い飯を喰って反省しなさいと、懲役4か月の実刑が言い渡された。

ミラー・マンは冤罪だと訴え、控訴した。しかし控訴審で控訴は棄却された。

それでもミラー・マンは冤罪だと訴え、上告した。しかし上告審でも上告は棄却された。こうしてミラー・マンは4か月間、塀の中で暮らすことになった。

なぜ、今頃、そんな昔話をするのか?

その話と小保方さんとどういう関係があるのか?

 

小保方さんは調査委員会によって研究不正ありと報告された。つまり「罪」ありとされたのである。しかし、その「罪」の重さはどの程度のものなのかは報告されなかった。

商品の価値は価格によって示される。

「罪」の重さを示すのは「罰」である。

刑事裁判では有罪とされたならば、同時に、その罪に応じた罰が決定される。これはある意味、当然である。例えば、押し売りがやってきたとする。いくらで売るかを示さずに、まず商品を買えと迫ったら、買い手は絶対に断る。しかし、値段が提示されれば、それぐらいの金を払うことで、押し売りが帰ってくれるならという判断に傾くこともある。

50万円払えば済む程度の罰ならば、たとえ自分は無罪だとしても、その罰を受け入れましょうという「大人の対応」をとることができるのである。

 

小保方さんにしても、「有罪」という調査委員会の報告と同時に処分、すなわち「罰」が言い渡されていれば、そして、それが例えば給料1か月分の半分カットという「罰」であるとするならば、「大人の対応」が取れたのではないかと思う。

しかし、どのような「罰」が下されるのか、今のところ、まったくわからない。もしかしたら「極刑」(懲戒解雇)が言い渡される可能性もあるのであるから、何としても「罪」を認めるわけにはいかないのである。

 

しかし、理研は小保方さんの「罪」の重さを、どのようにして測るのであろうか。理研のことだから、科学研究における不正という「罪」の重さを測定する装置なんかが用意されているのだろうか。