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シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

小保方さんの「悪意」と「間違い」

 まず次のブログを読んでいただきたい。

理系は「悪意」の意味が分かっていない!(STAP論争)

http://blogos.com/article/83594/

 彼女は自ら、実際に研究過程で撮影された写真を使わず、博士論文で使用した写真を掲載したと認めています。何故そんなことをしたのか? その方が画像が鮮明であり、説得力を有すると思ったからです。

この点は筆者の勘違いです。博士論文の画像の使用については、小保方さんは次のように反論しています。

私は、論文1に掲載した画像が、酸処理による実験で得られた真正な画像であると認識して掲載したもので、単純なミスであり、不正の目的も悪意もありませんでした

この「単純なミス」という主張は、後に述べる「錯誤」の観点からは「表示行為」における錯誤ということになります。

小保方さんが「画像が鮮明であり、説得力を有すると思った」とされるのは、もうひとつの画像(Figure 1i)です。小保方さんはその画像について「そもそも、改竄をするメリットは何もな」いとしたうえで、「見やすい写真を示したい」と語っています。すなわち画像を意図的に加工したことは認めています。

 

さて、前掲ブログでは「悪意」について法律的観点から論じていますが、私は同じ観点から「間違い」について論じてみたいと思います。

「一度はいた唾を飲み込むことはできない」ということばがあります。

一般に、いったん意思表示すれば、それをなかったたことにすることはできません。いったん契約が成立したのに、当事者の一方が、やっぱり、その契約はなかったことにしますという主張が認められるなら、そもそも何のために契約するのかわからなくなるからです。いったん行った意思表示をなかったことにする人は、それなりの責任を問われることになります(たとえば一方的に契約を破棄する場合、違約金の支払いなど)。しかし意思表示の過程に「錯誤」がある場合は例外です。

例えば、ある商品を100万円で買いたいと思った人が、売り手と売買契約書を交わす際、契約書に「商品代金として100万ドル支払う」と記述したとします。このとき「円」と書くつもりでいたのに、間違って「ドル」と書いてしまったという場合を「表示行為」における錯誤と言います。これが「悪意のない間違い」であることは誰も異議を唱えないでしょう。そして、その場合、契約をなかったことにすることができます。これを「錯誤無効」と言います。

ただし、

そんな間違い、普通しますか?

というツッコミが入ることは避けられないでしょう。

小保方さんの博士論文の画像についての主張も「酸処理による実験で得られた真正な画像」を表示するつもりでいたのが、間違って博士論文の画像を表示してしまっただけというものです。

しかし調査委員会は当然、ツッコミを入れるでしょう。

では「表示行為」に錯誤がない場合、「ドル」と書いたことが間違いではない場合はどうか。例えば、その人が、為替相場が1ドル=1円であると勘違い(錯誤)していた場合も「錯誤無効」を主張することができます。さらに意思表示の動機に錯誤があった場合はどうでしょうか。例えば、ある土地の上に高速道路が建設されるという情報を得た者が、その土地を買いたいと言い、土地の所有者も売ると言い、めでたく契約が成立したとします。ところが、後にその情報がガセであることがわかった。買い手がその土地を買おうとした動機は、その土地が値上がりすると考えたからです。しかし、それは勘違い(錯誤)であった。この「動機の錯誤」において錯誤無効が認められるには、相手側にその動機が表示されていることが必要です。そうすれば、買い手に「悪意」はなかったことになるからです。

 

小保方さんの場合、「動機の錯誤」はなかった。いや、なかったのは「錯誤」であり、「動機」はあった、「見やすい写真を示したい」という動機が。言い換えれば「間違い」はなかったが、「悪意」はあった。その「悪意」は動機を表示しなかったことにある。加工された画像を表示するなら、その画像に「この画像は見やすいように加工したものです」と注釈を付けるべきであった。そうしていれば、小保方さんの責任が問われることはなかったはずである。さらにいえば加工前の画像も同時に表示していれば、なお親切であった。

小保方さんは「動機」を隠すことによって、加工されていない(見にくい)画像の存在をも隠すことになった。小保方さんは画像を加工しても何のメリットもないという。だったら、なぜ加工する必要があるのか。「見やすくなる」というメリットがあるからでしょう。画像を見やすくするという意図が「悪意」なのか。普通はそんなことはない。しかし科学では違う。そして法律用語でいう「悪意」も普通とは違う。その結果、「悪意ある」小保方さん以外の人は「善意」の人になってしまった。すなわち「加工されていない画像が存在する」という真実を知ることのない人になってしまったのである。その真実がどれほど重要なものなのか、という反論はあろう。しかし、小保方さんだけには、そのように反論する資格がない。真実そのものが隠されている状況では、その重要性についての判断はできないからである。