シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

理研における「小保方問題」と世界における「STAP問題」の差異について

「小保方問題」における科学と科学主義の差異について。『保守論壇亡国論』で「小保方問題」を読み解く。

というタイトルで、例の小保方さんの「擁護者」が、またまた頓珍漢なことを言っていますよ、という話である。

小保方晴子博士上司にあたる笹井芳樹が、理研の内部調査の最終報告を嘲笑うかのように、厳しい反論を行っている。

違いますよ。「厳しい反論」を行っているの小保方さんだけですから。

(笹井さんのコメントから抜粋)

http://www3.riken.jp/stap/j/r2document10.pdf

報告書では、私個人の関与については研究不正を認められないとのご判断を受けました。しかし、報告書にあるように、いかなる場合も実験の詳細に遡った検討の努力を行うべきであり、この点が不足していたとのご指摘は深く反省すべきものとして真摯に受け止めております。また、私を含めた研究経験の長い複数の研究者が共著者にいながら、若手研究者の過誤の予防のための指導を徹底出来なかった点も大変悔やまれます。

ね、報告書にある指摘を「深く反省すべきものとして真摯に受け止めております」と言っておられるでしょ。

 

続けて「頓珍漢」さんは次のように主張されます。

科学も学問も、間違うのだ。間違うから科学なのだ。間違いの積み重ねの中から発見や開発は生まれるのだ。間違いを恐れる人間には科学も学問も芸術も無理だ。

間違いを恐れてはいけない、それはその通り。と同時に間違わないように細心の注意を払わなければならない。ましてや故意に「間違い」を起こしてはならない。それはもはや間違いではなく、「改ざん」「ねつ造」と呼ばれる行為であるからだ。

そして、これが理研における「小保方問題」である。

すなわち、調査委員会はSTAP論文執筆に際して不正があったかどうかを調査し、2項目について不正があったと認定した。これに対して小保方さんは、それは「悪意のない間違い」であって、不正には当たらないと反論しているのである。

「小保方問題」は科学の問題ではなく、科学者としての倫理の問題である。

これに対して世界における「STAP問題」は紛うかたなく、科学の問題である。

それは、世界中で再現実験が行われているにもかかわらず、STAP現象が(小保方さん以外の)誰の手によっても再現されていないという問題である。さらに加えて理研が公表した実験手順の中に「STAP幹細胞では遺伝子再構成が観察されなかった」という情報あることが、この問題をさらに深刻にした。

(この点について詳しいことが知りたい方は下記のブログをお読みください)

STAP細胞とSTAP幹細胞の可能性~実在するのか、解釈ミスの産物か?~

 

笹井さんはコメントの最後こう語っている。

仮に、今回疑義を生じたデータを除いてみたとしも、その他のデータで刺激惹起性多能性獲得を前提としない説明が容易にできないものがあると私は考えており、理研内外での予断のない再現検証に対して積極的に協力して、真偽の解明に貢献したいと思っております。

 STAP現象があるという前提に立たないと説明できないデータがあると言っているのであるが、これは調査報告書に対する反論ではない。そもそもSTAP現象の有無は調査の対象ではないのであるから。

 

小保方さんには、この再現検証に参加したいという強い思いがあるに違いない。私には、ここまで頑張ってきたのだから、結果がどうであれ、最後まで彼女を参加させるべきであるという思いがある反面、他方では、それでは他の科学者、特に若い科学者に対して示しがつかないという思いもある。

 

とろこで、ある裁判の判決の後で「それでも地球は回っている」と言った天文学者がいた。聞いた話によると、この裁判、原告と被告の主張はまったくかみ合っていなかったそうである。被告は「地球が回っているのは絶対的真理」だと主張した。これに対して原告は「絶対的真理は聖書の中にしか存在しない」と主張したのである。科学的立場からの主張と宗教的立場からの主張がかみ合わないのは当然である。