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シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

「驚きと憤りの気持ちでいっぱいです」「改ざん、捏造(ねつぞう)と決めつけられ、とても承服できません」「このままではSTAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねず、到底容認できません」by小保方さん

今回は樋渡理の「物語」・第三話の予定でしたが、急きょ予定を変更し、小保方さんの話をします。

こんな男に擁護されては、小保方さんも立つ瀬ががない

という話である。

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20140330/1396140986

明治時代末に、熊本県の片田舎に住む透視脳力の保持者・御船千鶴子は、その優れた透視脳力、予知能力によって人気者になった。近代科学や近代医学を超える超能力の出現であった。

この御船千鶴子という人がどういう人であったかは、各自wikiを読むように。私もwikiで始めた知ったのだから。

そこで東大教授たちが登場する。それを聞きつけた東大教授たちに、何回も「透視脳力実験」を試みられ、成功したり失敗したりを繰り返す。しかし、最終的には山川健次郎東大理学部教授(元東大総長)らの主張で、「嘘つき」「詐欺師」「インチキ・・・というレッテルを貼られ、 マスコミ東大教授たちから激しいバッシングを受ける。

これは事実に反する。東大教授・山川健次郎御船千鶴子の超能力を信じていたのである。「御船千鶴子事件」と「小保方晴子事件」で小保方さんと類似しているのは御船千鶴子ではなく山川であろう。

http://www.nazotoki.com/senrigan.html

「実験が完全でなくなったのは甚だ残念である。もしこれを悪意に解釈すれば大橋邸へあれを持ってくる前に開いて見たのであるまいかと思われるが、私は全然そんなことはあるまいと信じている。私は以前から千鶴子の透覚力について種々の人からも話を聞いて、余程、信を置いているし、第一、かの婦人が見るから不正なことをしようとは思われぬ。(中略)私はこの点に関してほとんど疑っておらぬが、しかしそれは私が信ずるだけで、第三者に向かっては昨日の実験を完全なるものであるということは出来ぬ」(「私は信ずる」『東京朝日新聞』明治43年9月17日付け、第五面より引用)

しかしそれは私が信ずるだけで、第三者に向かっては昨日の実験を完全なるものであるということは出来ぬ」この一文において山川は科学者としての面目を保っている。そして重要なのは、御船千鶴子に対する実験についての次の指摘である。

実験というのは、あくまでも学者の側が「させてもらう」立場で、能力者側の機嫌を損ねれば、実験は成り立たない。能力者側は学者のお墨付きを得られれば、それに越したことはないものの、大抵の場合、すでに信奉者はたくさんついている。そのため実験をしなかったところで、別に困ることはないのである。

超能力の存在を期待する科学者が、その期待を確信に変えるために、実験が行われた。ただ、実験の対象は人間である。だから「こういう条件ならば実験台になってあげますよ」と実験台は言うのである。この時点ですでに実験の信ぴょう性に疑問が生じる。

STAP細胞の存在を期待する小保方さんが、その期待を確信に変えるために、実験を行った。そして実験の対象は人間ではないから、いかなる条件も付けない。その点では実験に問題はない。ただ他の人が同じ条件で実験をしてもSTAP細胞は作れないことが問題なのである。もちろん小保方さんは、自分にはSTAP細胞を作り出す「超能力」があるなどと馬鹿げた主張はしていない。

実際に小保方さんはSTAP細胞を作り出したのか、否か? それは現時点ではわからない。今後の科学的研究が、それを明らかにするであろう。ただその論文に「不正」あるいは「悪意のないミス」があったことは事実である。

他方で御船千鶴子に透視能力があったのか、否か?  それは彼女が死んでしまった今、永遠の謎である。「あった」と信じたいものは信じればいい。しかし、それは科学的な態度ではない。科学はすべてを疑ってかかる。だから誰もが常識だと考えていることをも疑う。だが、「常識を疑う」ことと「非常識なことを信じる」ことを取り違えてはいけない。

 

さて、再び小保方さんを擁護しているつもりでいる男の主張を聞こう。

我々は、科学に、超能力や透視脳力、千里眼、心霊術、あるいは宗教信仰・・・などは無縁だと思いがちである。いや、むしろ、それらと厳しく対立するものだと思いがちである。しかし、そうだろうか。「科学」が対立し、排斥するのは「科学主義」であって、超能力や千里眼、信仰・・・などではない。

私は、現代の科学が「超能力や透視脳力、千里眼、心霊術、あるいは宗教や信仰」と「厳しく対立」したり「排斥」したりしているとは思わない。ただ、それらを無視しているだけだと思う。現代の科学は忙しい。御船千鶴子が生きていた明治の頃とは違う。「超能力」を相手にしている暇などないのである。

 

ところで透視能力はどこまで透視できるのだろうか。女性の服と下着に隠されているものを透視できればいいのであるが、さらにその皮膚・皮下脂肪によって隠されているものまで透視してしまうと吐き気を催すだろうな。