シュレディンガーの狸

このブログがなぜ"シュレディンガーの狸"と名付けられたのか、それは誰も知らない。

素麺と鎌足とSTAP細胞

素麺を食べようとして、生姜がないとき、しょうがないから山葵を使います。

というようなしょうもないつかみからはじまった今回の記事は「仕様がない」と「仕様もない」の違いについて考察します。

ところでこの間、長い間、ブログの更新を怠り、読者の皆様、関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。実はその間、証券取引法違反容疑で東京拘置所に拘留されておりました。昨日、3千万の保釈金を収め、ようやく保釈された次第です。もちろん私は無実です。その証拠に拘置所に拘留されたこともありません。つまりブログを更新しなかった理由は全部、デタラメです。本当のことは口が裂けても言えません。ということは口裂け女は本当のことは言わないのでしょうか。そんなことはどうでもいい。少なくとも私のブログは学とみ子さんのブログほどデタラメではないということが言いたいのです。本題に入ります。

「仕様」とはやり方、手段という意味で「仕様がない」は,最初は(ある対象を得るのに適した)手段がないという意味であったのが、転じて(やむを得ず)他の手段でやるしかない、となり、そこからさらに転じて、「やむを得ず」部分が強調されるような使われ方をした、と考えている次第ですが、本当かどうかは知りません。

これに対して「仕様もない」は適した手段も、それに代わる代替手段もない状態に置かれたときに使われます。そのとき人は(そのことを行うのを)諦めるしかないのですが、ただたんに諦めるのではなく、そのその行為によって得られる対象を「すっぱい葡萄」にしてしまうのです。つまりその対象を「価値の無いもの」と見なし、それを諦めの理由として納得するのです。こうして「しょうもない」=「つまらない」という等式が成立するわけですが、これも私の仮説であり、本当かどうかは知りません。

ところで関西では「しょうもない」よりも「しょうむない」と発音する方が一般的ではないかと感じているのですが、統計をとったわけではないので確実なことは言えません。以上でショームない話は終わりです。

続いて聖武天皇の話をします。聖武天皇の母は藤原宮子といいます。ところで藤原で有名なのが鎌足です。そしてモーパッサンのおかげで脂肪と言えば塊ということになりました。STAP細胞も塊です。だから藤原も塊でいいのではないでしょうか。そういうわけで聖武天皇は誕生するまで、宮子の子宮で育ったことになります。以上で聖武天皇の話は終わりです。1000字を超えたので、続きはありません。あしからず。